発明は楽しい。無から創りだすのは痛快である。
次に書くドクターの肖像の物語の主人公の発明家ぶりが痛快である。役所にもメーカーにもそっぽを向かれて、自宅に研究所をつくった執念。週末は開発、いや夜も昼も朝も発明を考えては、ブツブツ言っていたそうだ。
発明はハマる。それはわかる。
ぼくの最初の発明は、高校生の時、指先にはめて使うボールペンであった。指先端に付けるイトヌキみたいな形で、親指の操作でペンを出し入れできる。秘かに実用新案を出願したがそれっきりになった。
次の発明は段ボール容器に「一度閉めたら開けられない仕掛け」を作った。テープを使わずはめるだけだ。会社の仕事でやったのでちゃんと特許を取った。しかし段ボールを買ってきてはイヤというほどカッターで切り刻んだ。課長が「もう帰ろう」と言うまで、連日夜9時や10時までやった。
そんな習癖のせいか、ひとつふたつ「発明」を売り出した。
外国人向けの御朱印帳は良いアイデアである。だが問題がふたつある。「外人にどう広めるか」これは何とかなる。だが「量産」は費用の点でキツい。投資してくれる会社を探そうと思っている。
丸い帳面は別の用途で開発したが、ふと閃いて「押し鉄ノート」で売り出した。当たるも八卦、売れるも八卦である。
ここ2年ほどで他にも「紙の箱スピーカー」「曲がる厚紙」「日記手紙」「鳩手紙」など色々アイデアを出した。発明を考えるのは楽しいが本当に楽しいのは試作である。ずいぶん厚紙薄紙を切り刻んだ。
試作は思索。孤独に没頭できるのがいい。
いつの間にか時間が経っているのがいい。
手先と脳を連動させて創造するのがいい。
自宅に研究所をつくった先生は、10数年の苦労が報われてこれから金持ちになりそうだ。でもきっとお金より創ったことが認められるのがいいのだ。発明とは中毒だから。
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