感傷に浸っている場合じゃない。しかし今夜まで許してほしい。
アートマルシェ神田のあった三和ビルと、今日がおさらばの日である。もうcherryさんは来ないし、中村さんも山田さんも某社に転職した。しんがりである。といっても戦国武将の秀吉のように死に物狂いじゃない。単なるゴミ集め役(笑)
1Fに下したら、三和の現場のしんがりを務める鈴木部長に言われた。「おい、持ってくんなもう」何でも昨日も三和の社長と一緒にゴミを整理したらしい(笑)。すみませんでした。それで6Fのぼくらの部屋に突っ込んだ。
古くて薄汚れていて、かっこいいとは程遠いビルだけど、落ち着けた。館内放送が時代錯誤でよかった。地階の印刷所は工場むき出しだった。2階はいろんな色の空気が混じりあっていた。協調と反目、派閥と仲間、雄弁と無言。3階で「こんなのやれっこねえだろー」とぶつくさ言うオイカワさん、心臓病は大丈夫だろうか。あ!4階のジェイソンに挨拶してくるの忘れた。5階のママスにはお世話になりました。元まかないの7階食堂もよかった。空調は効きが悪いし、大地震の時もひび割れたし…まあ半世紀前のビルですから。
どの働き場所から去るときもあんまり悲しくなかったけれど、今回は悲しい。なぜなんだろうか。
ここに来る前に勤めていた摩天楼ビルの18Fにはついに馴染めなかった。仕事が殺伐としていた。その前の会社は本社ビルの隣のビルの奥まった処での新規事業開発がよかった。会社にも仕事マニアが多かった。その前の会社は倉庫みたいなビルだったが、意外に悪くなかった。なにしろ自由だった。
結局、ビルはそこで働く人がつくる要素でできている。空気や匂い、明るさ暗さ、静けさ騒々しさ、義務または情熱。
良心的なら良心的なビルになる。冷酷なら冷酷なビルになる。ギャラリーに来る人が口々に「なぜかここは落ち着くのよね」と言った意味がわかってきた。三和ビルは、印刷という仕事が象徴するにように、時代のしんがりを務める会社や組織ばかりだった。だから協調しないと生きていけなかった。だからどこか浮世離れしていた。
それがぼくの性にも合っていた。もうこういう仕事場はないだろうか。小さな自宅からつくってゆこうか…
コメントを残す