かたちあるもの

物を壊すと母はよく言った。「形ある物は滅するの」 ぼくは良く壊す子だった。

ごみ箱を壊した。20ヶ月ほど前に「密閉型なら台所のごみポーン、Gも来ないわ」とcherryさんに教わって、定価1500円もする「ワンプッシュ•オープン&密閉構造」のアスベルのごみ箱を10%オフで買った。気に入った。匂いもなくGも来ない。掃除もしやすい。

ただぼくは形あるもの滅する癖がある。数えきれないお茶碗やお椀、直そうとした電気製品、振り抜いたらヘッドだけが飛んだゴルフクラブ…etc uncountable。先日、布団を干そうと運んだとき、開きっぱなしにしたフタに当たってフタが飛んだ。

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片方のヒンジが折れた。ぼくの心も折れた。瞬間接着剤で補修したがつかなかった。ぼくの心も二つに離れた。

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「かたちあるもの」を大切にしなきゃと自分を戒めると、そんな歌がなかったかなと思った。Googleさんに教えてもらって、5-6年前の柴咲コウの『かたち あるもの』を聴いた。ラブソングだった。かたちあるもの、というタイトルのくせに、歌詞にはその言葉が出てこない。不思議だ。

目を凝らして歌詞を読んだ。「ふとあの日を見つめかえすなら 眩しすぎる太陽の中で 微笑む私を思ってね」「強がる愛の弱さ両手に 抱えてもろい絆を確かめてた」なるほど…あの時の愛が消えたという嘆きの歌だ

ところがこの歌は、平井堅の『瞳をとじて』の返歌だという。平井堅の歌詞を見ると、既に冷めた関係のふたりがいる。「瞳を閉じて 君を描くよ」「いつか君のこと なにも感じなくなるのかな」と切なく歌う。

二人とももなくしてしまう哀しさを歌う。だがふたりの心の中ではお互いに相手が輝きを放っている。どういうことなんだろう。

「かたち あるもの」とは、本当の愛のかたちが見えてくるという意味だ。かたちは見えなくても、そこにある。ハートでもキスマークでもない。離れても愛する相手がそこにいる。感じあえる。柴崎が歌うように「重ね合わせてゆく『好き』のつよさ」が生まれる。お互いにしか見えないふたりの輪郭こそ、「愛する者のかたち」なのである。

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今日、野暮用のついでに同じものを定価で買った。綺麗なごみ箱はうれしい。今度こそ。

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