「雨、やまにゃいね」「やみゃないなあ」
昨日はよく雨が降った。滴がたれる傘を後ろにそらすと神社猫が見えた。おっとミラーポーズだ。
いかなるシンクロナイズド•ポージングの競技でもこうはゆかない。かわいいのでパチリ。
まるで同じポーズなのに、微妙な距離がおもしろい。ふと思った。「程よい距離を保つことはむつかしい」。
友だち同士、家族同士、職場の人間同士、程よい距離を保つことはむつかしい。べったりし過ぎ、構い過ぎ、過保護過ぎ、仕舞いにはガミガミ言い過ぎ…。疎まれたり、嫌われたり、無視されたり、怒られたり、ケンカしたり。この世の半分の苦悩はここからくる。
後の半分は何か?それはツガイで居続けることのむつかしさである。
ぼくを含めて男が勘違いするのは、結婚=相方はオレのもの意識である。ある時は労働者、ある時は止まり木、ある時は欲望のはけくち。それはちがう。ツガイは生活を一つにしていても異なる個性である。お互いを尊重しなければならない。たとえばこの洗濯バサミのごとく、適度な距離が必要である。だが同じ屋根の下、竿は一本がいい。
ツガイはそれぞれだがお互い似た何かを持っているべきだ。たとえばグルーミングの仕方、尻尾の振り方、ちょこんと座り方、なんでもいい。好きなものとか価値観とか、人生の目標が重なり合えばいい。
もちろんツガイはたまにはケンカもしないとならない。無視もし合わなければならない。それがツガイをカラビナで留め合うのだ。心の底の思いやりというリングが救命具。
心に重なり合う部分ーベン図を持っていたい。それがあれば同じポーズを程よい距離感で取ることができるのだ。「やまないねえ」「やむさそのうち」と言いあって、雷雨でも共に生きることができるのだ。
くまモンのツガイ、つくりました…
コメントを残す