大切にすることを大切にしているだろうか?
大切にしたいものを大切にしようとすると、自分が大切でなくなることもある。自分が大切でなくなると、大切にしたいものも大切にできなくなる。身を粉にして働けば働くほど、家族と過ごす時間が減って疎遠になるがごとし。溺れる人を救おうとして自分が溺れるがごとしである。
また大切にしようと思ってやってきたことが、実は大切にする行動ではないこともある。それに気づくとニッチもサッチもゆかなくなる。たとえば歯磨きという研磨剤は歯にも歯肉にも良くない。では磨かないのか?というと汚れも口臭もあるのでそうもゆかない。人に恋して恋文を送るほど相手が逃げるがごとし。
「いかに大切にするか」も問題である。大切にする手段や道具や心意気は大切なのだが、どうもその道具ーお金や見栄を張ることに傾きがちである。ほんとうに大切にすべきことがぼやけないか。
大切にすることがこれほどむずかしいのはなぜか。ヒントは語源にある。
大切とは「切迫した」というのが原意で「大きく切る」と書く。だが大切にすればするほど切れなくなる。
高い牛肉やチーズをスライスするのに躊躇し、稀少な木材にノミを打ち込めなくなるがごとし。引きこもりの子を大切にするあまり声を掛けられず、親と子の対話が成立しなくなるがごとし。相手を失いたくないあまり、遠慮して言えないことが積もって壁になるがごとし。
「大切にする」ならば思いきって切れ。切ることは愛すること、愛することは切ることなのだ。身を切って流す血こそ大切にすべし。大きく切れない代償の方が大きい。
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