文は「なりきって書く」。なりきるまでがたいへんで、だから疲れる。
演劇では有名な「スタニスラフスキー・システム」、いわゆるメソッド法という理論がある。ひとことで言えば「役になりきる」ものだ。演じる役柄について徹底的な調査をする。実在架空を問わず時代背景を理解し、生まれや家系、学歴や職業を知り、表情や仕草や声音にいたるまで組み上げて、それを感情として追体験できるまでつくる。
代表的な役者はマーロン•ブランド、ロバート•デニーロらと言われるが(古くてごめん)、ぼくはアル•パチーノだと思う。『ゴッドファーザーPartIII』『狼たちの午後』、とりわけ『セント•オブ•ウーマン』。日本だと誰だろう。思いつかないが、そういえば昨日、国立国会図書館に出掛けたが、いつだったか俳優の渡瀬恒彦とすれ違った。きっと役柄を調べていたのだろう。
演技だけでなく歌も絵も同じである。庭に自分を植えこまずに、真のひまわりの絵は描けない。津軽海峡へバンジージャンプせずに、真のド演歌は歌えないのだ。
ともかく文を書く上での作法でも、スタニスラフスキー•システムを踏襲すべし。
登場人物を創作するため小説家は、その人物になりきるのだ。剣豪を書くなら背筋を伸ばしてペンで虚空を切る。板前を書くなら五分刈りにせよ。探偵を書くなら不味い料理を食べよ。野球選手を書くなら賭博せよ…ちがうか。せめてトイレマットはホームベースにしたい。「どこまで没入できるか」で出来が決まる。
今取り組んでるのは家族に問題があり、神経症になる人びとである。今の自分に近いのでなりきれるのだが、苦しみを背負おうとすると尚苦しんでしまう。ああ!早く恋物語を書きたい。先日書き上げた恋物語の続編を思いついた。死ぬまで恋してたいから。
ひとりハンバーグ。淋しいな…
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