人は何のために生きるのか。今はぼくはその答えは知っている。
ぼくはある人と出会った。天啓だと思えた。その時、惚れただけではなく、その人の中に落ちてゆく感じがした。落ちてゆく先に何があるのかー恋情に溺れたぼくは最初は見えなかった。でも見えなくても必ずや間違いないものだと直感できた。
次第に、霧が晴れるように彼女がだんだん見えてきた。同時に、人が何のために生きるかも見えてきた。
人は善く生きるために生きる。彼女そういう存在である。
こんなぼくでもまっすぐにしてくれた。以来ぼくは、お年寄りにも障がい者にも優しくなれたし、素直に良い人になろうと努力ができるようになった。以来、ヘタくそだけど創作が書けるようになった。
善く生きようとすると、善く生きるための人間関係をつくれる。
善い恋が善い世界をつくるのはそのためだ。世界を善く律するのはほんとうに単純なことなのだ。ローマ法王が言ったように「幸せに値札はない」これは善い言葉だったので書いておこう。
“Your happiness has no price. It cannot be bought and sold: it is not an application you download on a mobile phone. Even the latest version cannot help you to grow and become free in love.”
幸福には値札はない。買うことも売ることもできない。携帯でダウンロードできるようなアプリじゃない。最新のアプリでさえあなたを育てることも、愛で自由になることもできない。
恋することで人は自由になる。力をもつ。善く生きようとする。だからこそ愛に値札はない。
コメントを残す