この世のすべての悩みは自分と他の人との関係の中にあり、往々にして自分で問題をつくり、その問題に悩んでいるものである。
中落合にある「高良興生院 森田療法関連資料保存会」に行って来た。森田療法の権威の増野肇氏のセミナーを聞き、仕事のヒントを探すためである。
森田療法とは東京慈恵会医科大学の教授だった森田正馬氏が創始した精神療法であり、ひとことで言えば「あるがまま」である。
「あるがまま」とはしようがねえ、諦めようという態度ではなく、恐怖や不安は生きている上で当たり前だからあるがまま受け入れて、今できることからやりだしなさい、それもまたあるがままである、という意味である。
悩みに沈む人がいるとしよう。まず臥褥(がじょく)つまり入院して寝てなさいと指示されて1週間ほど寝る。だが体は悪くないので自然に動きだしたくなる。そこをつかまえて軽作業、重作業と進めて社会復帰をさせる。こういう流れである。
セミナーで先生が話された後、聴講者がひとりずつ自分のことを喋らされた。参加者の半分以上が元精神科患者であった。アル中、躁鬱、引きこもり、脅迫観念、情けない自分、こだわりすぎる自分、組織からの阻害やいじめ…なんでもござれのオンパレード(笑)壮絶な人生を送っている人ばかり。
ふと知人の鬱のことを考えた。潔癖で正義があるから、不正やいじめに敏感で我慢ができない。それはよくわかる。だから先生も「自分をゆるめよう」「治そうとするな」と言うのもわかる。だが相手や組織が変わらない限り再発もしやすい。その時は強くなっているのか。どう強くなるのか。「あるがままに治る」とは実際はどんな状態なのか。それが知りたい。
潔癖でもなく正義でもないが、ぼくだって悩む。それも自作自演のところがある。問題を自分で作ってハマってもがくのだ。そんな自分を含めた弱者のために、文の創作で慰める。ぼくにとって創作とは自分を含めた弱き者への鎮魂歌なのだと思う。
帰りに施設1Fのベーカリーで、精神障害を持つ患者たちの作業療法で作られたパンを買った。見た通りのあるがままの味がした。
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