心に届く仕事を

逝って丸2年、宮本さん三回忌の会へお邪魔した。

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企業のマーケティングを支援する会社を創り、財団法人を創って、ASEANとの架け橋の影武者となった。上智大学と麹町界隈をこよなく愛し、生きるお金の使い方を知っていた。何よりも事務所に「まあ座れ」と人を呼びつけては、2時間から3時間、途切れることなく、政治文化経済国際関係、彼の体験意見余談冗談を圧倒的に語られた。あのエネルギーが懐かしい。

2年経ってこれだけの人が、それも老老若男女、日本人だけでなくASEANの人もいる。凄いことである。最初に宮本さんの会社の片腕の方が、ギター演奏を披露してくれた。彼は宮本さんのギター部の後輩だった。1曲目が変奏曲、2曲目が『禁じられた遊び』、3曲目が宮本さんが好きだった『アルハンブラ宮殿』。見事な演奏だった。

次いで挨拶に立たれたのが、彼の部下だった直木賞作家山本一力氏である。いい話しをきいた。

我々がTBRビルディングに移った頃、あんなビルをぼくらが維持できるのだろうかと半信半疑だった。当時はオーディオの全盛時代で、営業担当だったぼくは何とか仕事を取ろうと、郡山にあったダイヤトーン(三菱電機)に提案し、サンスイ(山水電気)もターゲットでした。
さっきギターの演奏を聞いて思い出したのですが、宮本さんは大学でギター部だということは何度も聞いていた。ところがある時まで彼の演奏を聴いたことがなかった。初めて聴いたのがTBRに移った時のパーティで弾いた『禁じられた遊び』だった。あの宮本さんが弾いただけで何も言わなかった。「がんばれ!」「落とせ!」など叱咤する演説はひと言もなかった。
なんでだろう?と当時から腑に落ちなかったのですが、今、彼の演奏を聴いていてわかった。宮本さんは「心に届く仕事をしなさい」と無言で語ったのでした。

宮本さんのマシンガントークに初めて会った人は、圧倒され沈黙するしかなかったが、ぼくはそれでもピストルを打ち返した。エネルギー、情熱、そしてロマン。宮本宜明の教えを胸に。

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