心の被災

規模の割には熊本大地震(仮称)は物理的には被害が少なかった。しかし災害は心まで被害が及ぶものである。物理的な被害は公共予算を散らせば治まるが、心の被害は目には見にくいものなので、見過ごされたり後回しにされやすい。そうならないようにしないと。

心の被災は天変地異に留まらない。ぽつりと路上に落ちる椿のようにあちこちで落ちるものだ。

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ぼくは心もまたひとつの臓器だと考えている。

心の臓器はつねに体内を移動している。心臓とはまさに心の臓器と書くが、そやつは心膜にへばりついて心動脈を動かし、心血を注ぐものだ。肺臓にも動き、心肺蘇生をつねに行って酸素を取り入れ心呼吸をしている。

心の栄養は、口からではなく感覚器官から摂取される。見たくないものを見ると心眼が曇り、聞きたくないものを聞くと心膜が破れる。心中を穏やかに保つことができなくなる。心の凝りは肩に宿って肩こりになる。心の詰まりが喉にくると言葉を飲み込んで無口になる。心の循環が悪くなると心配事を排泄する心配機能が低下する。心退ここに極まれり。

…とふざけたことを書いていると思うだろうが、もちろんそうだが(^^)、平たくいえばすべての臓器には心が宿る。宿り方がおかしくなると臓器もおかしくなる。心は臓器がちゃんと動くように体内で活躍している。だから心身一体という。

心にも臓器と同じく薬物治療がある。といっても精神療法の薬ではなく、食欲を増進させる炊き出し料理だったり、元気づける言葉だったり。笑いや運動もある。心の外科治療はあるのだろうか。心は切除することも移植することもできないが、心をめぐる環境さえ変われば治る可能性も出てくる。

ということで被災地の皆さんは心労心腐に気をつけてください。しかもこうも余震があると「まだまだ揺れるぞ」と不安が増幅する。だが必ず揺れは収まる。心の揺れもきっといつか治まる。

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