「今日が人生で一番若い日だから」

あちこち体はぼろがきているが、年に一度の健康診査結果、マイナス要素は見当たらない。

血圧115/67、尿糖尿蛋白なし、性欲は非蛋白、血液検査全て正常値、心電図異常なし、メタボなし、BMI18.3、ただ一点、視神経乳頭陥凹だけプラス、つまり視神経繊維数の減少。これは緑内障のことであり、ただ今治療中(^^:)年相応と言える。

健康診査では見えない項目に「脳力不足」「才能不足」がある。歴然とした能力差はいかんともしがたい。それを埋めるために努力をするわけだが…。また生命欲不足というのもある。いつまで生きたいと思えるか、戦えるか。それを考えると杉浦編集長の言葉が刺さる。

「今日が人生で一番若い日だから」

なるほど「残された人生で」と但し書きすればより正確ですね(^^)逆に「これまでの人生で一番年寄りの日」とも言える。つまり次のように補足できる。

未来を見れば、今が一番若い。
過去を見れば、今が一番老いている。

ではたった今を見るとどうなのだろう?若いのか、老いているのか。

禅の公案めいているので、ついサリンジャーの『ナイン•ストーリーズ』の見開きにある言葉を思い出した。

「両手の鳴る音は知る。では片手の鳴る音はいかに?」

江戸時代の禅師白隠が修行者に語った言葉だという。「隻手声あり、その声を聞け」 (両手を打ち鳴らすと音がする。では片手ではどんな音がしたのか聞いて語りなさい)

ぼくなりには「空を握るだけで聞こえない」孤独な音だと思う。愛する人や仲間という「鳴らせる存在」があらばこそ音がする。

ここに今を見るヒントがある。

たった今を見て若いのか老いているか、それは結局その人の見方次第である。前に進む力があれば若いし、力が萎えれば老いてゆく。さらにこうも言える。

過去と未来を合わせて生きる存在が人間である。若さという挑戦と、老いという経験を今という瞬間に合わせて生きてゆく。かくありたい。

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