「若ければ挑戦したかったかも」ということが、中年過ぎれば誰にもあるだろう。
アパート前の建築現場には先日来、3人の作業員がやってくる。若い親方といっていいのかポニーテールのおにいおじさん。中堅の人、そして初々しい新入り。眼鏡をかけた19才くらいの子である。新入りは型枠の土台を一枚ずつローラーで磨いては持ち上げては鉄筋に沿って置いていった。昨日までにその作業も終わっていた。
晴天の今日はいよいよ打設であろう。案の定、軽バンできた3人が待ち構えていると、ミキサー車が9時過ぎにやってきた。
どどどど…と(音はしないが)コンクリを、新入りと中堅が一輪車で受けては型枠に流しこむ。ポニーテールがハンドミキサーでならす。作業は午前中で終わった。お休み時間になるとポニーテールは土台で大の字で寝だした。新入りはスマフォをいじっていた。いまどきの建築は、この上に“壁と屋根のパーツ”をクレーンで一気に組み上げでしまう。だから職人技が見れるのは土台までである。
若ければ挑戦したかったのが家づくり、建築仕事である。建築士になりたかった。日本の木をつかった日本に合う工法でモダンな建物を建てたかった。
「若ければ挑戦したかったかも」というフレーズは、農業をする長島勝美さんが京都の酢の醸造所についてFacebookで書いていた。
飯尾醸造は、原料のコメ作りから始める真面目な醸造所である。高度成長期にDDTなど強い農薬が撒かれるにようになってフナもドジョウも消えた。こんな田んぼで作ったものを食べたら体がおかしくなると考えた醸造所の三代目は、無農薬米づくりを農家に働きかけた。四代目はさらに契約農家といっしょに米作りをしだした。雑草が生えない「再生紙黒マルチ農法」まで開発した。
「若ければ挑戦したかった」ことは人それぞれだろうが、長島さんもぼくも、ものづくりにからんで、しかも日本の原点に向かおうとするのは、単なる偶然なのだろうか。
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