「やっぱり…」

やっぱり今年も行きますか。Go to 鬼は外!福は内!

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cherryさんが今日はギャラリーに来るだろうと思っていた。案の定、豆の月餅付きでやって来た。やっぱり君の作るものは美味しい。

そして本番…柳森神社の節分〜!

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やっぱり今年もいっぱい人が来ているし、今年もお菓子付きだった。どうもありがとうございます!

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節分は毎年恒例のことなので「やっぱり」を連呼してしまうのだが、それで思い出したことがある。

「やっぱり」「やはり」という副詞を使うことを戒める文章家がいた。確か沢木耕太郎氏だったか。

やっぱりと言うとき、世間的な常識や一般的な経験則に照らして、「誰でもそう思うはずだ」と主張している。読者と書き手の間にはあたかも共通視点があるかのように思わせて、文の展開をしやすくする魔法の副詞なのだ。

共通視点の根拠はない場合もたくさんある。あっても薄汚れた共有メモリーかもしれない。それなのにやっぱりでつなぐのは、読者におもねりすぎて、文章家として表現することを放棄をしていると氏はいうのである。

今日は別のニュースでも「やっぱり」を見つけた。

「そういう不安を抱えていた部分もわれわれはあったからね。ああ、やっぱりと思わせる部分があるので」

清原元選手の覚せい剤逮捕について、中畑清野球評論家のコメントである。正直を言えばぼくも「やっぱり」と思った。豪放を装いつつも、挙動が不安定な人だなと思っていたからだ。中畑氏やぼくだけじゃないだろう。周りの人が心配して運動しろとか旅に出ろとか、アドバイスをしていたみたいだし。

このときの「やっぱり」は副詞というより間投詞に近い。「ああ!」とか「ついに!」とかの叫び声である。

ああ、やっぱり野球好きなんだな…という副詞で彼は戻れるのだろうか…

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