ギャラリーそばの小さなビルとその隣の水道管屋が解体工事に入る。柳原通り(正式にはやなぎわらと読むらしい)沿いである。
在りし日のgoogleストリートビューで見る当該地所、今は柵が立てられている。ビルの2階にはラブなんとかという怪しい店もあるし、遂にではあるがまた一つ昭和が消えてゆく。
数日前、“近隣様へのお知らせ”という厚いコピー書類が、ギャラリーのポストに入っていた。一本路地に入った佐藤金属という金属商社のビル解体と新築工事のお知らせである。建替えビルの図面がついていた。
めくると地階は大きな会議室であり。朝礼好きの会社ですね…昭和っぽい。一階はエントランスで二階、三階、四階と執務室が続く。特に社長室という区画もない。フラットな会社かな。五階は応接スペースで六階はなんと!「食堂」とある。ますます昭和だ。そして注目は七階屋上である。室外機や給水タンクの脇に三つ囲いがある。そこにこうあった。
『ハト小屋』
本当に?あるいは金属業界の隠語?(笑)三和印刷の中村さんにこの話しをすると、
「あの会社の名刺をウチで刷ってますよ」
「へえ」
「固い会社ですけど受付が美人です」
「ほぉ」
「それが春先は初々しいですが、夏になり秋になりだんだん化粧がハデになって…(笑)」
どおりで昭和は遠くなるわけだ。
神田川沿いの柳原通りの昭和、いやヘタすると大正モダンの建物の多くが、服飾関連である(あった)。なぜだろうと思っていたが、ここは江戸時代には古着通りだった。当時は着物で、明治以降は洋服の古着屋に変わった。洋装は高価だったからだ。その流れで昭和の戦後は服地屋、仕立て屋、ボタン屋、ネーム屋などがひしめいた。
ギャラリー前のビルの横丁のパン屋が、昔は『まりっぺ』というお弁当屋さんだったのも知った。その隣のブロックでは地上げ屋による火付けがあったが、皆で協力して“仕舞屋(しもたや=店舗兼住居)”を建て直したという。
ここで働きだして8年目。人情が息づいた町を書き起こしてみたいと思っている。
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