猫が鳴いているときは泣いているのかもしれない。にゃんとか助けてやりたい。
暮れの30日、裏のアパートの黒猫がみゃあみゃあ言っていた。ヒトサマの家だからじっと見れないけれど、窓辺におしっこうんこするトイレと、水の器、そしてご飯が見えた。どうやら飼い主が不在なのだ。
まさか…帰省か?おい、まだちっちぇ猫をおきざりにして帰省って?そんな…^^;
翌31日も鳴いていた。声がか細くなった。元旦にはパッタリ止んだ。二日も聞こえなかった… あゝ黒猫ちゃん!君は泣いていたんだね、かわいそうに…。ペットホテルや訪問ケアが高いというなら、頼んでくれれば世話してあげるのに…
ようやく三日か四日に飼い主リターンズ。事なきを得たようだが、以来黒猫の姿を見ることがなかった。今朝、ベランダの手すりを拭こうとしたら目があった。よかったね。
ある医師が言っていた。心の病気になる人は猫好きが多いのだと。
ある患者が車で通りすがりに小さな捨て猫を見かけた。車が走りだした。どうしようもなくなって「引き返してください!」と頼んで猫を抱きしめた。ある人は公園で目が見えない猫を拾いあげた。すぐ獣医に連れていった。だめかなと思ったが生き延びた。ある人は一匹拾うと、二匹目を拾い、三匹になりと…見過ごすわけにはゆかないのだ。
かわいそうな猫を見過ごせないのは、自分が見捨てられる恐怖心からだろうか。相照らすものを感じるからだろうか。
誰もが心に猫を抱えている。それがわかれば、みゃあみゃあ鳴くのは泣いているとわかる。だから抱きかかえてやりたい。
安心すると猫はこざっぱりとする。さらりと淡白に振る舞うものだ。でも猫はきっと人が見えないところで「にゃっ」と笑っている。感謝しているのだ。
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なんとなくカーリー•サイモン“You’re so vain” (^^)
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