ここ数日何かに手をつけようとするとブレーキがかかる。何も捗らない。気分転換にドラッグストアに買い物に出かけた。ティッシュやラップやハイターを抱えていると、「調剤薬局でもTポイントがつきます」という店内放送を聞いた。ええ!最近たくさん目薬や湿布薬を近所の小さな薬局で処方された。ポイント無しで… レジの前で地団駄踏んだ。
帰ってピザトーストを作った。変な味がした。酸っぱい。玉ねぎかチーズが腐っている。どれもこれもちぐはぐ…。
トーストを捨てて神社に行った。カランコロンとお祈りを済まして帰ろうとした。丸いものが目に入った。
蜜柑がたわわに実っていた。きらきらしていた。
すると、蜜柑がひとつ落ちた。ころころと足元に転がってきた。しゃがんで手を伸ばすと蜜柑が私を観た。蜜柑には目があるのをこの瞬間まで知らなかった。そいつは言った。
「何悩んでいるの?」
「悩んでる?」
「さっき鈴を鳴らして二拍してボソボソ言ってたじゃん」
境内にはデイケアセンターのバンが2台停まり、車いすや杖をつく年寄りと介護者がちらほらいた。
「声出して言えるなら苦労はないよ」
蜜柑は肩を揺らした。蜜柑に肩があるのをこの瞬間まで知らなかった。
「さっき聞いたよ」
私は舌打ちした。
「じゃ訊くな」
「いや」蜜柑はころんとでんぐり返しした。「お願いごとの動機を知りたい」
「なぜ」
「いいじゃん」
「笑うなよ」
「蜜柑に笑う唇はないよ。口づけされるだけさ」
「じゃ言うぞ」
「聞くよ」
私は蜜柑を取り上げて囁いた。蜜柑はヘタをパカっと開けた。どうやらここで笑うんだ。蜜柑は言った。
「やっぱりね」
「何がやっぱり?」
「人はいつでも柑橘系の悩みを持っているからさ」
「どうせ酸っぱい人生だ」
「ぼくは甘いよ」
「齧るよ」
「やめて」
蜜柑はゴロンと私の手元から逃げた。
「仕方ないよ」
「何が?」
「お祈りに来る人のほとんどがソコに問題があるからさ」
「そんなもんか」
「絵馬には合格祈願とか就活成功とか今年こそ昇進とかあるけどね、どんな絶望も希望も根っこにはソレがある」
「そんなもんか」
「ソイツが上手くゆくとすべて上手くゆく」
「蜜柑は」私は蜜柑を撫でた。「悩まないのか」
すると蜜柑はくるりと回った。「ぼくたちはいつもお日様の方に向くのさ」
蜜柑の木を見上げた。みんなお日様で光っていた。
「ぼくたちの喜びはね、たわわに実って誰かに『酸っぱいけど美味しいね』って食べられること。オンリーそれだけ」
「わかるなそれ」
私は蜜柑を神社のお賽銭箱の上にそっと置いた。帰りがけに長葱の草原にも日が差していた。私も食べられよう。「おじさん、渋くて美味しい」って言われるように。
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