昭和ヒトケタ商社マンの天命

お菓子の御礼にお菓子を送ろうとしたが、目当ての品が売り切れだった。どうするか…と思いついたのが、本を読んで感想を送ることだった。

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昭和ヒトケタ商社マン』、江商→安宅→伊藤萬という、いずれも経営破綻した大手商社を渡り歩いた繊維マンの生きざま。幹部として一線にいたからこそ描ける商社のウラ話やオモテ話しがおもしろく、会社が傾くたびに味わった生々しい悲哀もある。1988年発行の本書、著者は昭和3年(1928年)生まれで還暦の区切りに書いたのだろう。

戦後のどさくさに麻雀で腕を磨いた著者は、大学卒業後江商に入社。入社前のアルバイト時の思い出がいい。夜勤から退社するとガード下にインテリな浮浪者がいた。戦争で苦節をなめた彼は、新卒の著者に言った。

「君もこれからが本当の人生やからな。俺の信条は<人間万事塞翁が馬。人事を尽くして天命を待つ>ということや。いつの日か、君にも思い当たることがあるわ」

著者は貿易のイロハを学んだ後、花形の繊維部門の営業マンになる。昭和25年は朝鮮戦争の特需で大もうけでボーナスも凄かった。ところが翌年から在庫がだぶつき一転して大不況、大赤字である。この時の損が遠因となり昭和41年に大欠損、同業の兼松に救済合併された。

有能なる著者は安宅産業に異動したが、江商でも後の安宅産業の崩壊でも、商社ならではの単語が出てきた。

商権」である。

買収側は吸収する会社の商権を厳しく算定する。タタいて買うならまだしも骨抜きにして捨てることもある。商権とは会社の資産ではあるが、実は商社マンについている。彼らが日に日に夜な夜な世界を飛び回って、飲んで食って啖呵をきって築きあげたものだ。

ぼくは製造業に勤めていた頃、バンコクやクアラルンプールで、三井物産の商社マンにお世話になった。よく遊んだな(^^)彼らがどのように商権をつくるのか、その一端を垣間みた。

だから商権を人脈と言うには浅すぎる。あえて「人情脈」と言いたい。商売でつくり、商売を越えて絆になる。あっけなくそれが消える場面に何度も遭遇した商社マンの人生を思うと、昭和という時代のモーレツの裏側にあったものが思いやられた。

また商社マンといえば体力である。かつてぼくは商社に憧れて某大手商社に一度面接に行ったが、学歴も機転も縁故もなく門前払いされた。そもそも体力がなかった。

著者の高瀬湊氏は、昭和33年から34年にかけて10か月、結核療養で休職もしていたという。病を越えて働き天寿を全うされた。そして大晦日の昨夜から元旦の今朝にかけて亡くなったと知った。戦後日本の復活と繁栄を築いた商社マンを偲び、しばし合掌。

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