白杖SOS。ある方のFacebookアップデートをcherryさんがシェアしていたので、ぼくもした。立った杖を見ればいいんだね。記事全文はこちら。
ぼくも元弱視者(といっても白内障で手術治療しただけ、でも緑内障もあるしなあ…)として、視力の弱さの不安感がわかる。駅のホームや街角で、視覚障害者を見かけて「大丈夫かなあ」と見やる。実際に声をかけることもある。手を引いたこともある。
つい先日も都内の交差点で見かけた。杖をついた人が何人も黄色いブロックの道を歩いてゆくので、あれ…?と思ったら、視覚障害者の施設がある。ここなら大丈夫だろう。
いや視覚障害者になりたてだったらどうか。車通りの多い交差点、危険度は高い。杖を立てるかもしれない。
でもまだ立てる人を見たことがない。記事にもあるが、立てても声をかけてくれる人が現れるまで1分かかった。短いようで長い1分。ながらスマホでは気づかない。自分のことばかり考えて、俯いて歩いていると気づけない。視覚障害者が「上げてもな…」と思っているかもしれん。
公共広告機構さんもこのCMをやればいいと川端悦子さんも言っていた。そうです、でも見ようとしない人にいくら見ろと伝えてもねえ…
結局、誰かの気持ちになるのが一番むつかしい。本田宗一郎氏は「私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ」と言っていた。
仕事でも恋でも文でも同じ。物理的な杖でなくても、心の中の白い杖を上げている人はいる。杖は見えなくても、表情とか肌の色とか、声とか書き込みとか、サインはいろいろある。弱きに気づける人になりたい。
ところが編集者と読者の気持ちをわからないぼくは、またもや原稿書き直し(^^; がんばってます。昨夜から今朝まで11時間寝て元気になったし。何しろ視力は遠目1.0ですから、白旗は上げません。
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