スーツを着る。それは何のスイッチを入れることだろうか?
寒いので厚手のスーツをと押し入れを探したが、どうやら引越のときに処分したようだ。相当断捨離した。秋冬物の合体はあるけれど、ホントの冬モノスーツはない。これで冬を乗り越えられるんだろうか。
衣服は季節をまたぐスイッチですね。
ぼくは普段はジーンズにシャツやセーター、カジュアルジャケットという自由業なので、スーツはいわば「別人格へのスイッチ」になる。今日は客先での仕事でスーツとコートで空を見上げて、スーツにふさわしいキーワード、「効率」「絞り込み」「まっすぐ」「本質」などを自分に刷り込んで歩いた。
カジュアルの普段は、ふにゃっとしている。ギャラリーの仕事はふにゃっとしている。創作もふにゃっとを入れたいし。
つまりぼくにとってスーツとは、ふにゃっとから合理への切り替えスイッチである。
だがひと仕事を終えて夕方、秋葉原の風景を見て、不思議な感覚におそわれた。ビジネス=かちっと、生活=ふにゃっと、とは限らないと。
たとえば家庭での洗濯、掃除、買い物。これらは効率もあるけれど思いを巡らす時間でもある。掃除しながら仕事や人間関係のこと、人生にたまった塵や埃のことを考える。洗濯しながら季節のうつろいに思いをはせる。買い物してはモノとの出会いから今日は良いことあるかな…と運勢を占う。
身体はスーツをまとっていても、中身はウダウダしているかもしれないのだ。
今日の客先のスーツの会社員たちも、会議では黙っている人もいたけど、今頃飲み屋でスーツを脱いで「アホコンサルがあんなこと言いやがって…」とぼくにクダ巻いてるだろう。
ぼくはぼくで、明日お会いする紳士の姿をネットで見て、彼がバリッとスーツを決めているんで、しゃきっとしなきゃと思っている。
スーツっていろんなスイッチが入っている。不思議なコロモだと思いました。