3.11後

フジテレビの亀山社長に同感した。彼の発言である

「日本の意識がいろんな意味で変わってきたのが(東日本大震災の)“3月11日”じゃないかなと。今までの我々がずっと押し出してきたわくわく感、ドキドキ感や、少し浮世離れしたお祭り感というのが、どこかで絵空事に見えてしまうようになったのではないか」

それでフジの視聴率が低迷し出したという。その因果が正しいかどうか知らない。

ただあの災害後、テレビでやってた絵空事のチャリティーはすぐに廃れた。焼きそば支援とか鉄腕ナントカ村だとか傲慢だった。それで視聴率がとれなくなってリアリズムに切り替えたが、それも3年続かなかった。

残ったのはアホな番組だった。周りにはほとんどテレビを見ない人ばかり。視聴率って誰が分母なんだろう?

ともあれ、災害は我々の心にさまざまな爪痕を残した。

まず災害に「敏感」になった。茨城の河川氾濫、各地の火山活動。警戒心が当たり前に働くようになった。だから自治体の対応ひとつ批判が集まる。

二つ目に「やさしさ」。多くの人が弱い者への眼差しが柔らかくなった。災害は精神的に未熟な者を成熟させるきっかけになる。ぼくも腰を曲げて歩くお年寄りを微笑ましく思えるようになった。目の見えない人を見ると行方をしばらく眺める。

ただやさしさはまだら模様である。格差社会は収入や資産だけでなく、やさしさにもできた。いじめが多いし暴力をふるう人が増えた。「やさしさの二極化」、災害でも成熟できなかった人が残されたように見える。

三つ目は「はかなさ」。命のはかなさ、モノ所有のはかなさ。自分と人びと、社会の関係を津波で洗いなおした人もいる。ぼく自身、かなり洗濯(選択)しなおした。

つまり災害のほとぼりが冷めても、元にはもどらなかった。心の中に「敏感」「やさしさ」「はかなさ」といった“レバー”をみんなが持つようになった。ひとことで言えば、テレビという受動体験には、人はもうぐっとこないのである。

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自然の美しさにこそ人は…

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