自分の心をどうひらくか

寂しがりやのボクがなぜ寂しがりやなのか。それが本書でわかった。

FullSizeRender(72)

木田恵子氏の本、2冊目『子供の心をどうひらくか』読了。『0歳人•1歳人•2歳人』もよかったが、子供の〜はより分析に比重がある。ヘタな子育てを振り返ると思い当たるフシがある。

なぜ子供は「分った?分ったら返事しなさい!」と言われると返事をしないか。それは「禁圧反応」といって、イヤなことは聞かない、記憶に残さないという。だから叱らずにひたすら粘るのが正しい親だと… ずいぶん言っちまったな。

親は「上位自我」で子供に立ち向かうという。自分が子供の時にイヤだった親の要求を上位自我として無意識に自分に取り入れて、上位自我の命ずるままに子供にあれこれ言う。

もうひとつ、母親の良いあり方は「準備性」。いつでも必要なときににいる。たとえば子供が学校から帰ったら母がちゃんといる。子は安心する。すぐに塾や遊びにゆくんだからいなくてもという合理主義では子供は育たない。

わかってくると我が身にあてはめたくなる。

小学校低学年の頃、親がいなかった記憶がある。父は関東の僻地の駐在で週末しかいなかった。母はママさんバレーだ。土曜の昼、サッポロ一番塩ラーメンをひとりでつくった情景が繰り返し思い出される。運動会でも遠足でもおかずの少ないお弁当が恥ずかしかった。父はことあるごとに「サラリーマンで山手線内に家は持てないもんだ」と自慢した。お金が幸せの元だと常々言った。母と父の仲も決してよくなかった。だからぼくは旅に出たんだろうか。だが父から「旅にでてお前はダメになった」と言われた。母は帰ってきたねと抱きしめてくれたが…

ぼくも仕事仕事で夫婦仲も悪かった。子供を抑圧した。上位自我を繰り返したかもしれない。それでもぼくの子は、ぼくよりマトモに育ってくれた。

寂しい心をつくるのは愛の不足である。絶対的に母のだ。死ぬ時「おかーさん!」とは言っても「オトーさん!」とはいわないでしょ。自分の根っこがわかってくると不思議なもので雲が晴れる。楽になる。そういう物語を書くことに取り組んでいる。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中