パリへのテロリストによるアタックを憂えた古城里紗さんの切り絵が美しい。
ぼくなりにパリのことを考えようと思った。自称ことばのデザイナーなので、言葉からだ。フランスの詩人だなと思った。
歴史的に見ると、パリは「花の都」「芸術都市」のイメージだけではない。血なまぐさい事件も多い。20世紀には第二次大戦ではドイツに占領され、第一次世界大戦でも戦火は間近まで迫った。18世紀にはフランス革命、19世紀にはプロイセン(現ドイツ)との戦争で破れて占領された。
抵抗したパリ市民が蜂起して、『パリ•コミューン』をうちたてたのは1871年。自治を喜びうたいあげたのが、言葉の錬金術師、詩人のアルチュール•ランボオである。彼の『パリのどんちゃん騒ぎ』の詩の一節をあげよう(『ランボオ全作品集』より)
おまえの足が怒り狂ってあんなに烈しく踊ったとき、
パリよ!あんなにたくさんおまえが切傷を受けたとき、
おまえの明るい眸(ひとみ)に、鹿毛色(かげいろ)の春の慈愛を
かすかに映しとどめながらおまえが倒れ伏したとき、
おお、苦しむ都、おお、瀕死の都よ
このコミューンで民主化、教育改革、婦人参政権、言論の自由など、パリの自由がうちだされた。詩人は喜んだ。怒り狂ってや、切傷は戦争のこと、眸の愛とはランボオのパリへの愛だろう。だが「血の1週間」で3万人が殺され、コミューンはたった2か月で崩壊した。絶望した詩人は詩作をやめることになる。
ぼくはパリに行ったことがないのだが、花の都というイメージと共に、自由のために戦ってきた歴史を感じる。市民の強さがある。そこが魅力である。ランボオはこの詩の一節をこう結んでいる。
暗い過去が、お前を祝福することになるだろう。
絶望したとも読める。絶望から立ち上がれるとも読める。立ち上がってほしい。
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