ありのまま

ある本(『子供の心をどうひらくか』)を読んでいたら、精神科医の古沢平作博士が、精神分析の権威であるフロイドに、留学を終えて帰国前の挨拶をした際のエピソードがあった。

「どうぞ先生、ご老体をおいといになりますように(当時77才)というと、先生は alles natürlich ーすべては自然のままにー といかにもこともなげに答えられた。私は平生、親鸞聖人の教えに親しんでいるので、すぐに自然法爾の気持ちが浮かんで、一種、神々しい気に打たれた。既に三十数年後の今もまだその声は私の耳底に響くのである」

すべては自然のままに」というドイツ語から親鸞が浮かんだというのは、氏の博学であるが、まさに洋の東西を問わず。親鸞の教え「自然法爾/じねんほうに」とは、自力を捨てありのままにまかせることとされる。

では「alles natürlich/ありのまま」とはどういう意味か。

一般的には「自分の今の姿を受け入れて、やりたいと思ったことをやる」だが、どうやらちがう。むしろ反対らしい。「落ち込んだりドキドキの気分はそのまま受け入れて、やるべきことをやりなさい」だという。

躁鬱気味な自分をみてそうだなと思う。沈んではロスする。浮かんでは間違える。仕事でも、人間関係でもそんなことばかりだ。

ありのままをたとえると、鐘と撞木(しゅもく=つく棒)だろうか。鐘には煩悩がいっぱい詰まってる。そこに向かって「ウダウダ言わずやるべきことをやりなさい!」と叩いて鳴らす。ほら良い音でるじゃないと自分で自分を励ませる。

叩くだけではない。単純に、自分の見た目を変えるのもいい。たとえば散髪だ。昨日、ばっさりやった。眼鏡や服を変えるのもいい。バッグを変えてみる。

見た目を変えると中身も変わる。中身が変われば対人関係が変わる。明日はそんなことを考えてみたい。

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