ほんとの感情を吐き出せると楽になる。あるがままの自分を受け入れてくれる人が、ひとりでもいれば楽になる。そっからだよ。
空は透き通っているが心が濁っている。そんなときには濁りを吐き出せるといい。こんなことあった、怒った泣いた苦しんだ…と。ある方が吐き出していたので、苦しいんだろうけど、さっぱりしただろうなとも思った。
ぼくも吐き出したいことがあるけれど、今は全てはできない。社会的(業務契約や財産問題)で整理がついていないことがあるので迷惑がかかる。つけばいくらでも吐き出したい。恥ずかしいことも何もない。
さてFacebookで吐き出すのはひとつだが、吐き出せる人がいればもっといい。
たとえば夫婦でもそうはゆかないもんだ。ぼくは1ミリもゆけなかった。愛する人とはいえすべてオープンとは限らない。吐き出し合える人と出会えるかどうか。人生は結局そんなもんだろう。
吐き出せる人がいなかったら、忘れちまうか。
キース•リチャーズの新譜『Crosseyed Heart』にAmnesia(アムネジア=記憶喪失)という曲がある。歌詞はロックだ。自分が誰か忘れた、住所も忘れたし、母親もオレを忘れてる、どこにいたかどこにいるかわからない、どこにもゆけない、そんなだ。
忘れられればいいけれど、忘れたはずの記憶が、心の深みからポッコリ出てきて、悩まされるかもしれない。フロイト的にもそれはたくさんあるそうだ。やっぱり吐き出す方がベターだ。
余談だが、ロックとは黒い心を吐き出すアートである。出しにくいこともビートにまぎれて出せる。大音量で聞き取れなくするのはストレートだと内容がキツいせいでもある。だから詩はいい。散文だとマジに取られるから書きにくいけれど、詩はあくまで詩であり死であるから。
信じたい。希望を捨てたくない。だが時は過ぎてゆく。
今夜は美しい三日月が浮かんでる(iPhoneではぼんやりですね)。月から見ればどんな悩みもちっぽけなんだろうな。月に住みたい。