小説なんて不良が読むものだ。

「小説なんて不良が読むものだ」と父に言われて、本が読めなくなった人がいた。むむむ不良かあ…確かに。

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洋の東西を問わず小説という空想物語には、万人ウケするが味のないエリンギ小説もあれば、行儀の良いが本音を隠す皇室の娘のような道徳小説もある。だが世には毒にも薬にもなる小説がいっぱいある。

目から毒を盛られた文学少年や少女達は、物理的には近視になり、性格はシニカルなってゆく。ひねた子つまり不良である。そのとおり。ぼくなぞ高校のとき一日一冊のペースで本を読んだ。会社員を辞めて独立してヤクザな仕事を重ね、収入減にさらされ、その挙げ句に家族をバラバラにした。不良だろ(笑)

だがね、人が思春期に本を読むのはワケがある。自分が不良だと気づくからだ。

オレってヤバいと思うか、まいっかと思うか、何も感じないか。人それぞれだが本を読む人は、自分の中の不良を知り、どう生きるか?優良になれるか?不良な誰かを救えるか?と思い悩む。

ぼくの青春時代は真っ暗だった。ひとりぼっちが嫌いなくせに、人と付き合うことができない。人が離れてゆくと寂しくて、人が来ると甘える。そんな自分が5万回くらい嫌になって、似たようなヤツを探しに本屋に行った。自分と似たヤツが主人公をしている本を買って読んだ。

人はまっすぐに生きられない。転んだり、よろめいたり、けつまずいて、穴に落ちる。転落防止ネットや、つかまれよこのロープが小説なんじゃないかなと思う。

だから絶対に読んだ方がいい。たくさん読めや。電子書籍はやめよう。でっかい本屋とかでっかい図書館に行った方がいい。そこでたくさんの本の前に立つ。すげー圧倒される。自然にこう思える。

「こんなに不良がいっぱいいるんだ」

すると、自分だけの不良物語を書ける。きっとそこには救いがある。なぜなら書くことは、自分以外の誰かのためにする行為だから。

「小説なんて不良が書くものだ」そうだ。でもそれは読むより、もっと尊い。

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