人を喜ばせたいサイレン

誰かを喜ばせることができるかどうか。結局そこにしか生きる意味はない。それが一番むつかしいな。

秋に色づく悩みがある。書くこと、教えること、コンサルの仕事はむろん、シコりのある人間関係、そして創作手づくりアイデアが出ない。ヘッポコなので考えてばかりの秋なのだ。頭が良くて人間が良ければこんなに考えることはないだろう。

手づくりで不毛な試作をした後に寝たら、明け方にひとつ「解」が降りて来た。それは人(お客様とか相方とか)を喜ばせるってこうなんだな、という実感である。すると「あ、これでいいのか」という感じで肩から力が抜けた。

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実感、ココ重要。うまく伝わるかなあ、書いてみよう。

まず「実用」「便利」はいけない。ぼくは手づくり手帳のアイデアを出そうとして出なくて困った。なぜ出ないか。それは「便利」「実用」を優先するからだ。実用にも便利にも「楽しい」なんてない。あるのは「当たり前」である。ちがう…どうすればいい?

「楽しい」だけに絞りゃいいじゃん、と今朝思いきれて、少し楽になった。

手帳の発想からも、実用や便利を消すといろんな形に変形した。作りたいのならこういう手帳がいいな、という発想に変わった。「これ作ったら楽しいよ」という押しつけの発想はだめ。そうではなく「こうしたから作ってみてよ」という微笑みの提案がいい。

伝わるかなあ。これ仕事でも対人関係でも通じるんだけど。

多くのビジネスは「これ作ったから楽しんで」である。だから成功しない。押しつけ発想であり、相手やお客様がホントの主役になっていない。自分(たち)が主役のまんま「お客様満足」と言うだけだ。ホントの相手の満足は、相手が自分の中に入って来ないと生まれない。

人間関係でも同じ。たとえば「恋人をどうして喜ばせられないのか?」。

こうしたら喜ぶだろうと思って計画しても失敗する。なぜか。それは「恋人に取り入ろう、気に入られよう」という下心があるからだ。見透かされている。そうではなくて、こうしたら「二人とも楽しいね」ならうまくゆく。そうすれば、どっちかに楽しくなさそうなことも見えるのだ。

それが実感としてわかって、ぼくの中の「人を喜ばせたいサイレン」が一瞬灯った今朝だった。でもまだぼくは救急車みたいにピポピポいっている。もっとサイレントに相手を喜ばせたい。ああ、諦めたらここで終わり。諦めるもんか。

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