親をハグする日

超高齢化社会は多死社会とも言われる。あっちでもこっちでも親が具合が悪くなる人びとがいる。

実母や実父や義母や義父らが具合が悪い。「ら」を付けたが、全部書いたから意味はない。悪い箇所も肺や肝臓や脳溢血にがんの転移…とさまざま。我が父は多臓器不全で亡くなり、我が母は肺がんだった。年を取るとはそういうものだ。

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母のLast Daysの思い出のぬいぐるみ。今になって思うのは、もう少し頻繁に見舞いにゆけばよかった。実家にゆけばよかった。その時はその時で忙しかったり、気が向かなかったりしたわけだけども。

旅行に連れ出せることはなかった。老人性の心配性でお通じが出なくなるのがいやだ、イレッサがきつい、などとのたまって。それでも連れ出したらどうだったのか。あるいは「もっとかまって」と言ってもよかったのだろうか。

覆水盆に返らず。落花枝に上り難し。父や母には死後に心で感謝しかできないものなのだろうか。まあ父母の後を追っていることは、生き方や日常生活にちょぼちょぼは出てくる。

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たとえば料理。同じものを作りがち。シャキシャキとしたところ(してねえ)。テーブルの下の日本酒一升瓶(後年は2リットルパックだった)。ぼくはウイスキーだった。もうそれほど飲まない。

そんなことを思いながら、買い物に出た。メジロのチュンのいた公園に差し掛かって木を見上げると鳥がいた。

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写して相方に送ったら「ムクドリかな」と言われた。木々の下にこんな光景も見た。娘がお母さんをぎゅっと抱きしめた。

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ぼくは青春時代、ふらりと旅にでた。その時その場を生きることがつらかった。だから旅に出た。何ヶ月たっても答えは見つからなかった。帰るまいと思った家に舞い戻った。1年振りの家の玄関で、小さな声で「ただいま」と言うと母が来た。「よく帰ってきたね」と抱きしめてくれた。

そうか。母を抱きしめてあげればいいのだ。病弱になった父母を抱えるみなさん、ぜひそうしてください。そのくらいでいい。それだけでいい。

蛇足。「敬老の日」は日にちを決めるべし。第三何曜日と言われてもピンと来ない。連休にまぶすと前後にぶれて忘れたり面倒くさくなる。決まった日にちにもどせ政府。そしてひっそりと(マーケティングではなく)『親をハグする日』とPRせよ。

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