安心と安全

福島の第一原発3号機で、巨大がれきの撤去に成功したというニュースがあった。喜ばしいことだろうが、喜ばしさも半ばと思わせるのはなぜだろうか。

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これは冷やし中華である。本文とは関係がない。ある雑誌の医師のインタビューを読んでいて、次のくだりに目が行った。

ーー(質問者)一般の国民が求めているものは安全と安心です。
回答する医師 安全と安心は全然違います。安全はサイエンス(科学)ですが、安心は心の問題です。

なるほど、これを読んで目からがれきが落ちた…(@_@)福島の事故の問題には、安全と安心の二つの側面がある。

安全はサイエンスなのに、これまで汚染水を閉じ込めるだの、それでも漏れるだの、ロボットは失敗だの、20tのがれきを除去できれば炉心に残された核燃料566本を取り出せるだの…さまざまな神話的な取り組みがなされてきた。事故発生から4年以上が経って、まだ「試行錯誤」にも見える。実際はプログラムがあるというのだろうが、少なくとも普通の国民の目には、そう写ってしまう。

つまり原発は発電機構にサイエンスがあっても、安全装置や危機対応ではサイエンスの域には達していなかった。火力発電所や水力発電所との安全度の比較はできないが、たとえば新幹線は、あれだけ大量•高速なのに大事故が今までない。先日の自殺による車両火災でも、乗務員の安全を守る行動が賞賛された。危機管理にサイエンスがあるからだろう。

もうひとつ「安心は心の問題」。これも置き去りにされている。

直後の風評被害は減ったとは言え、安心がもどっているとはいえない。福島産の野菜や果物は食べないという人もいる。新しい復興町ができたという報道もあったけれど、仮設住宅が無くなったわけじゃない。放射能だけでなく、震災後のストレスによる健康維持に問題も出るだろう。見えない不安が残ってる。

心の問題ゆえに、後ろ向きだと安心が減り、前向きになれば増える。ならば気は持ちよう、ケセラセラでゆこう。備えあれば憂いなし、せいぜい備蓄に励もう。されば安心も増える。その通りなんだけど、それだけじゃない気がする。自分のことだけ考えて備えて、安心が増えるだろうか?否である。

誰かのために生きる。大震災が教えてくれたことはこれだった。

誰かのために生きようと思えば、安心の元になる勇気がもてる。愚直なる継続もできる。自分の行動にリーダーシップを持てる。

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