京都でお座り

なぜ生徒って旅行先で座らせられるんだろう。

京都に駅帰り旅行をした。駅帰りとは、日帰り旅行よりも旅行として短いという意味である。京都駅から取材地までタクシー、終わってタクシーで京都駅へ。仕事とはいえなんてことだ。

そんなだから神社仏閣もはんなりも何もない。見学スポットは駅だけです。おっとその駅には…修学旅行がいっぱいだった。ちょうど季節なんですね。その行列の凄さといったら!ゆけどもゆけども行列が切れない。誇張ナッシング。150mくらい、たぶん4校か5校いたんだろう。

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同行したカメラマンがおもしろいことを言った。

修学旅行ってなんで座るんだろう?

確かに座らされました。なんでだろう。駅の床って汚いし、かっこわるいのに。他の乗降客の邪魔だし「どきなはれ」と言われてもねえ。しかし座り込みされても大丈夫なくらい、京都駅は広いんですね。それもびっくりでした。

思い起こせば江戸に住んでいたぼくも、中学校の修学旅行地は京都と奈良だった。

と思う。「と思う」と言わざるをえないほど記憶がない。京都や奈良の名所旧跡を回ったはずなのに、おそろしいほどに記憶がゼロ。それより以前の小学校の遠足は覚えていることもあるので、ボケてるわけじゃない。

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でも、並んで座ったことは覚えている。あれは苦痛だった。

修学旅行や遠足だけじゃない。運動会や体育館での入学式や卒業式でも並んで座らされた。どうして座らせるんだろう。生徒は檻に入れたい獰猛な生き物だから?立たせておくと回し蹴りとかしてふざけるから?そりゃするけどさ…

集団行動嫌いのぼくは、とりわけ学校外での集団座りが苦痛だった。道ゆく大人たちはまるで標本でも見るかのように好奇な目で見る。同じ服、同じ鞄、同じ靴、同じ表情で行進するのも堪え難かった。無邪気な小学生ならまだしも、自我萌芽期の中学生になると違うのだ。

あれが社会人としての「皆とはぐれないトレーニング」だったなら、ぼくにはまったく効き目がなかった。こんなはぐれ者になっちゃって。そうか、駅ではちゃんと座らなきゃいけなかった。ちゃんと座っていれば普通の人になれたのだ。もう遅い…

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生八つ橋でもかぶって残りの人生を考えます。

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