くたくた神社

この一帯を「幸の谷」と書いて“こうや”と読むのはなぜなのか。幸せは谷間にあるのか、それとも谷に落ちたのか…(^^;

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その駅沿いないし裏手に、線路から見えどもたどり着くのがむつかしい赤城神社(松戸市)がある。この駅を何千回も利用していたのに、ここには来たことがなかった。

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入口に“区画整理”でできたという記述ありけり。どおりで鳥居も本堂も新しい。

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水の張られていない手水舎に昭和52年(1977年)とある。この駅は1973年できた。それを機にあたり一面の畑に区画整理事業でマンション群を建てた。いわゆる新興住宅地である。建物が新しいと信仰も新興な感じがするのは不思議だ。

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今日を最後に来ることもないだろうから、せめて御朱印をと思えば、まだ朝早く開いていなかった。

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この町にぼくは1991年から去年まで四半世紀近く住んでいた。正直、最後までこの町になじめなかった。祭りは神社でも寺でもなく大通りでやる。盆踊りはマンションの庭でやる。お店は大規模小売店ばかり。

ぼくは新しい町が苦手なのだ。住んだ後に身にしみて何をか言わんや。

それまで東京の下町に住んでいた。江戸からの歴史があり、なにしろ路地はくねり猫はのさばり町らしい町の匂いがたっぷりあった。木にも雑草にも年季の精を感じた。町は積み重ねた歴史がある方が楽しい。

比べて地名に「新」が付くこの新興地は、道はまっすぐで路地も広くてつまらない。猫も地猫の風情なく新猫である。英国紳士が新調した背広やコートを、わざとくたくたにしてから着るという話があるが、せめてそれをして欲しい。

町という服をくたくたにするには何が必要なのか。もちろん時間である。人びとはもちろん、木も花も真の意味で土地に根付くのは何世代もかかる。

神社も同じだが、古びるからありがたいわけではない。根付くには<災厄>が必要なのだ。日照りや災害、盗賊や暴君。それらから守るのが神社。感謝するのが村人。信仰と災いはくねくね入道のようにもくもくと育つ。神社も町も強くなってゆく。

ぼくは災いを背負ってこの町から出てゆくようなもんだが、災いがあるから強くなれる。感謝も谷底まで深くなる(^^*)。

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あ、このくたくた感、いい。

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