願いの道

願いの道はたいてい遠い。キケン、キツい、クネクネの3K。心願成就への決心を試しているのだろう。

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千葉県は自然も多く良いところだが、欠点がある。車が多い割に道が狭いのだ。歩行者が車を避けて歩かされる。そして、どうしたものか神社への道は概してそうだ。今日の5月15日に訪れた船橋市の滝不動も、交通量の多い二車線道を15分、てくてく歩かされた。

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到着した山門ぽい入口は風情がある。くぐった正面が本堂かと思えば、ちがった。右手にそびえるのが本堂である。先客の参拝者の後でと思って石碑を読むふりをしていたら…

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ボーン〜♪と鐘が響いた。いい音だ。

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ぼくも本堂に上り銅鑼を叩いた。ボーン悩に音がこだました。これなら神様は起きるしかない。と思いきや、神主不在ゆえ御朱印はもらえなかった。まあこの鐘の音だけで十分に御利益ありけり。

滝不動とは滝信仰神社である。昔々この地をある神職が掘るとご神体が現れ、そこに滝ができた逸話から祀られた。お参りを終えて別の門から出た。こちらが正門のようだ。水子像があり池もあった。そこに亀がいた。

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親亀の♪背中に♪子亀をのせて〜♪沼亀の類いは万年とは言わず30年も生きるというから、きっとこやつら、真実を知っているに違いない。ぼくはどうするべきか?と訊こうと思ったら、池にドボンと隠れた…^^;

しかし神道だ緑だ。歩いてわかったことがある。

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由緒ある神社が駅から遠く、境内が広いのは参詣者を歩かせるためなのだ。歩くうちにこれまでの人生道を省察しなさいと言う。霊場88カ所もめぐるのはそのためだ。歩いているうちに真理にゆきつく。

今日、ぼくにもちょっぴりと来た。

一生で「これだけはやり遂げる」もの。ぼくは「文を書くこと」と「一人の女性を愛すること」である。前者は遂げてきた。折り合いが悪い編集者と1年間バトルをして、敗れる寸前に道が開けた。それは自分の書くことを貫いたからだ。もうひとつ、愛することの行く末は依然視界不良だが、道は見えている。結果は結果なのだ。どっちでもいいじゃないか。

そう思えたとき、ふっと自分が消えた。

ああ、これなんだと合点がいった。自分を消すために人は歩き、考えてまた歩くのだ。そして人はようやく立ち止まる。どこに?それはもちろんー

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