鳥たちの家

一日原稿格闘日であった。なかなかつらい戦いであった。

心臓外科医は渡り鳥である。

妙な“郷節”らしきクサイフレーズが出たところで、休んでしまった。すると書けなくなってきた。ふぅ……。いやいやまてまて…やんなきゃ。

渡り鳥といえば、数日前、最寄駅で鳥の巣の落下を見かけた。空想が広がった。

IMG_6032

かわいそうに…。ヒナは大きくなっていたのだろうか。突風で落ちたのだろうか、地震の振動で落ちたのだろうか。まさか他の鳥の攻撃でやられたんじゃないよね。もっとまさか、親が子を見捨てて出て行ったとか、もっとまさかまさか、親と親が喧嘩して巣を蹴飛ばしたとかもないよね。そういう変な方向に想像がふくらむのは、変人だからである。親として人間としてどーかしているからである(^^;)へん、自認しておるって。

ふと思う。

なぜ、人は人を恐れるんだろう。
なぜ、人は人に当たるんだろう。
なぜ、人は人に怒るんだろう。
なぜ、人は人を好きになるんだろう。
なぜ、人は人を嫌いになるんだろう。
なぜ、人は人をわからないんだろう。

どんなに生きてきても、人間ってわからない。わかりあおう、話を聞くよと言っても、心底相手をわからなかったり。わかりあえたと思った次の瞬間に、わかりあえていないのがわかって、ショボンとしたり。

「それが人間じゃよ」

などと和尚さんか牧師さんか人生相談回答者のように、達観できない。ジタバタドタバタ、それでも理解し合おう、努力しようと、怒らないでよと言いたい。生きている限り、できなくてもできなくても、理解できるようになりたい。絶望しながらも希望をもちたい。あきらめずに悲しく微笑みたい。

人は迷ってばかりだが、鳥たちはきっと仲良く暮らしていた。もう巣に住めないほどみんながでっかく成鳥したので、独立しはったのだ。

そんな空想をして、鳥の巣を横目に乗った電車の中では、スマートフォンばかり見ている人だらけだった。彼らはバーチャルの巣にこもっている。うつむいてお年寄りに席を譲らない若者もいるし…

ああ。鳥の方がやさしい。

鳥は人のように喧嘩も暴力もふるわない。偏見も、憎しみも、差別も、領土争いも、戦争もしない。ずっとずっと平和な生き物なのだ。妄想終了。原稿に帰ります。

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