富士を登る道

富士を登る道はひとつではない」という。いずれも山頂を目指しているけれど…

今日は仕事でダブルヘッダーだった。午後遅めに医師インタビューがあって、その足でASEAN留学生就活講座。連投は田中マー君でなくても疲れる…(^^;

今夜の就活講座のテーマは「発表会」であった。祖国ベトナムと日本の架け橋となるか?夢をプレゼンしてもらう。初回なので不安があった。ちゃんと伝わらず、発表できる人が少なかったらどうしよう…

結果としては、9名中7名まで発表したのでひと安心だった。だが根が心配性なので、実は自分の発表文も用意していた。発表者が足りなかったら発表しようと思っていたのだ。

生徒の発表のことは明日書く。ぼくの発表予定タイトルは『文を書くこと』。出だしはジョブズのスピーチをもじった。

ぼくはなぜ文章を書くようになったか。それを話したいと思います。3つの話です。「本を読む」「書くことと挫折」「人を書く」たった3つなのです。

幼少の頃からの本好きは濫読だった。読書と書くことがつながったのはサリンジャーの『ライ麦でつかまえて』。それ以来、血になり肉になる良書を読むようになった。だが読めても書くことはむつかしい。書きまくってもだめ、旅をしてもだめ、結局書けずに就職した。それから16年ほど経った時、あるきっかけから書き始めた。

書けなかったのは「書くことが見つからなかった」からだが、その思いと今日の医師インタビューの中で出てきた言葉、『富士に登る道はいろいろある』がなぜか響きあった。

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富士に登るルートは、主なものでも御殿場や富士宮など4ルートある。それぞれ難易度や時間も違う。ぼくは登山はしないが「書くことという山」には登ってきた。それもいろんなルートからアタックしてきた。

空想話を書く。仕事のハウツーを書く。ビジネスエッセイを書く。マーケティングを書く、ブログも書く連載も書く…。一生懸命書いた。だがその時、頂上がわからないまま書いていたのではないか。

頂上に雲がかかったまま、道だけを見て登ろうとしてきた。あるいは、道を変えても、同じ登り方をして再びアタックに失敗した。それではダメなのだ。「頂上が見えるからこそ、どこから登っても到達する」のである。

自分の頂上がわからないまま登山しても疲れ果てるだけだ。ぼくの頂上は「人を書く」であった。それが見えたから、どんな険しいルートも楽しくなった。一歩一歩が意味をもつようになった。どんなに高くとも征服してみせると思えるようになった。

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