セレンディピティの降りてくる散歩

セレンディピティ、それは“幸運なる発見”、発想が降りてくることである。それには3つの条件がそろわないとならない。

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ピンポーン♪と鳴って書留配達の郵便局と思って出たら、国民年金の取り立てだった(^^;)ぜひ払ってください、もったいないですからと言われて、がんばりますと答えたぼくは払うだろうか。先日催促の電話が掛かってきたときは、逆に質問を浴びせて、よくわかった。ここ数ヶ月分は払っておく方が良さそうではあるのだが。

ちょうどドクターの原稿も煮詰まっておったので、散歩に出ることにした。図書館に返す本を片手につらつらと歩き出した。足りないのか多すぎるのか、頭の中の原稿用紙上であちこちを削っては足しとやりながら。

物語には「丘」と「庭」が出てくる。このふたつを混同させないで、しかも美しく結びつけるにはどうすればいいか。にわには庭、おかには庭…とつぶやいていたら、道行く人に怪訝な顔をされた。

うーんしっくりこない。きっと最後の一行のせいである。とってつけたとは言わないまでも「柿の実の一行」ほどの良さがまだない。

「柿の実」とは、前前号の鳶巣医師の原稿での最後の一行である。どんな一行かは省くが、ハッとさせてほろりとさせる一行だった。胸を張れる一文である。あの良さがない。ふーむわからん…とつぶやいたとき、他人の家の庭に見知らぬニャンコがいた。もっさもっさしてる。

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おいでとカメラを向けると逃げる。待ってよと言うと止った。そこをパチリ。じゃあね〜

…と数メートル歩くと、最後の一行の言葉が降りてきた

そうか丘には平野だ、いや平原か。そこに彼らがいる。最後の一行の情景が見えた。これを言葉にすればいい。さっそくiPhoneのメモに数文字を書いた。いけそうだ。柿の実ほどのレベルかわからんが、原稿との戦いが終わった気分。

一瞬でまとまる、それが文のセレンディピティ。

発想には3つの条件があると書いたが、ひとつは「心が不自由になるまでトコトン考え抜くこと」。二つ目は「心を自由にすること、そこにひらめきは降りてくる」。

問題はどうやって心を自由にするか?であるが、それは「ニャンコ」である。心を無防備に自由にさせるには可愛いヤツが必要である。これが三つ目の条件。けっこうテッパンの理論であると思うにゃ(^^*)。

*****閑話休題*****

2015年4月25日、ネパールで大きな地震がありました。たった今しがたの報道でも700人以上が亡くなったということで、お悔やみを申し上げます。そこで来る5月11日の被災地支援のボランティアイベント「ぐるっとブレスレットワークショップ」の参加費をネパールに寄付することにしました。どうぞご参加をお待ちしております。Facebookはこちら

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