左手人間

左手に掃除させてみた。これがなんだか気持ちがいいのだ(^^*)

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利き腕の右手が雑巾を握ると、ここはきゅっきゅと拭く、あそこはざぁーっと拭くという動作もその加減も、我が意のままである。ところが左手だと力の加減がわからない。力の入れよう抜きようが精密にできない。そこでざっざっざっ…と単純にというか、粗雑にというか、拭いてゆくのみである。

まるで二匹の犬を散歩させるようだ。右手はおとなしいダックスフントで、左手はおきゃんなスパニエル犬みたい。

何が言いたいか。利き腕はあらゆる制御が緻密にできるじゃないですか。ひとつひとつ指先まで意識が行き渡る。一方非利き腕は制御がしにくい。意識しないままがぁっといっちゃう。二本の腕は対照的でおもしろい。

そこで思った。まるで左手はナマの自分のようだと。右手は世間体のいい自分、左手は本音のわがままな自分である。

どちらも自分なのだ。利き腕を使っている間は世間サマに指差されないで暮らせる。何かの拍子に利き腕じゃない自分ばかり使うと、あの人おかしいんじゃない?と言われてツマハジキになる…のだろうか(笑)

それはわからないが、我々は無意識に利き腕と非利き腕を使い分けている。

たとえばワインの栓を開けるとしよう。コルクが乾燥したのか固い。そんなとき右手はコルクスクリューに小刻みな力を入れて、ブナンに引き抜こうとする。それで埒が明かないと左手である。左手は力任せに真っ直ぐ引き抜こうとする。

これは左手には右手の器用さが無いからいうより、力任せにやらせみようという判断だと思う。つまり右手には右手の、左手には左手の役割分担がある。

そう考えると、神がなぜ人間に一本ではなく二本の腕を与えたか、そこに利き腕という仕組みを入れたのか、実に興味深い。

なぜか。ぼくは大脳物理学者ではないのでわからないけれど、どうやらバランスなのではないかと思う。

脳は右脳左脳とか前頭葉後頭葉に分かれるが、大脳辺縁系が本能を司り、大脳皮質が理性を司るというようなバランスがある。ひとは体全体をバランスさせて生きている存在である。その最たる器官が手なのではないだろうか。

…とてきとーなコトを書いているけど、こんなことを考えながら朝の掃除するぼくはきっとどうかしている。左手人間にちがいない(笑)。右手は毎朝むくむほど疲れているので、今日はこれでグッドバイ。

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