自分らしい自分がいるふたつの場所

自分探しであちこち旅しても自分は見つからない。いやかえって見えなくなる。なぜなら自分は「ここ」と「そこ」にいるからだ。

今執筆中の医師の話だが、インタビュー中に思わず膝を打ったことがあった。彼の言葉と、先日読んだ『ペール•ギュント』の主題がつながったのだ。彼の話を聴いていて、思わず取材ノートに「イプセン」と書いた(ペール•ギュントはイプセンの戯曲)。

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その言葉とは「自分探しをする人に限って自分が見えない」。

イプセンの物語の主人公ペール•ギュントは「おのれ自ら」(自分探しのことと思ってよろしい)を探して、女をさらって山に入り、トロル王国でワガママせよとけしかけられ、奴隷売買で儲け、王国に婿入りし、なぜか一文無しになり、亡霊や死神に終われて、遂におのれに徹することができず、悲嘆にくれた。

ぼくを含めた我々は、自分を探して転職したり、起業したり、失敗する。近場に自分が見つからないので旅に出る。北国や南国に行って探しては経済貢献だけして帰国する。神社仏閣を訪ねて御朱印をもらう。恋愛もどきをして結婚をして、不倫をする。こんなのは自分探しでもなんでもない。自分に遠心力をかけているだけだ。

ペール•ギュントは旅の途中で母のもとを訪ねる。それは死に目に会うだけだった。悲嘆にくれた。それで自分探しのために、もっと遠くに出掛けていった。

ぼくも旅に出たが結局、家にリターンした。わが家にヨレヨレと着いたぼくを、玄関先で抱きしめてくれたのは母だった。おのれ幸せだった。だがそれからも回り道をさんざんした。

ペール•ギュントが旅の果てに着いたのは、旅する前に出会って惚れた女の子、ソルヴェイグの膝の上だった。「おれは何十年もどこにいたんだろう?」とペール•ギュントが訊くと、何十年も森の家で待ち続けたソルヴェイグが言った。「あなたはわたしの信仰の中、希望の中、愛の中にいたの」と。

ぼくが旅の果てに着いたのは、歌の調べの中だった。歌劇の歌、和魂の歌、童の歌、愛の歌の膝の上だった。だがこっちは何十年も待ってはくれまい。ぼくだってこれから何十年も生きるわけじゃない。早々に壁に穴を開けて抱き上げたい。

つまり、自分とは「母の中」と「愛する人の中」にあってこそ「おのれ自ら」になれる。一番自分らしく幸せに生きられる。

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雨はいつかきっと止む。

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