もったいないを因数分解すると…

「もったいない。わたし、次に来る時はこれで作ります」

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土曜日のぐるっとブレスレットワークショップでのことだ。お一人でやってきたおばあちゃまが、短く切って束ねた緑色の毛糸を見て言った。切ってあっても結ぶことなくブレスレットが作れるコツがある。だから残してあるのだが、短すぎて誰も使わないのだ。おばあちゃまは重ねて言った。

「もったいなくて」

そうだねえ…この年代(恐らく70代)以上の人は、もったいない、捨てられないんですよね。

まとめだした次の医師インタビューでも、医師の父母(すでに他界している)の家には「がらくた」がぎょうさんあったと語られていた。医師の父が蒐集していた徳利やぐい飲みだけじゃない。捨てられない物たちが家にはわんさかあった。

我が家の例では、包装紙や手提げ袋、誰も着ない服、紙の束、誰も思い出せない思い出の品がたくさんあった。我が父母を含む昭和ヒトケタから終戦前までに生まれた人たちは、物不足の時代に育った。家にも市場にも物がない、仕事先も物がない。だから物をありがたく感じる。だから捨てられない。

ぐるっとブレスレットを作って余った毛糸は捨てている。前は残していたが使えない。ぼくは物に執着があるのかないのか。あるようで無い、無いようであるが、引越時にたいがいの物を捨ててきた。

いや捨てられない物があった。腕時計である。

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古い動かない腕時計が7−8本ある。そのうちアンティークのオメガとセイコーロードマチックの2本を除けば、安物である。いやその二つも無価値だろう。大きなのっぽの古時計ならいざ知らず、ぽいっとできるはずだが、捨てられない。なぜだろうか。

歯車や文字盤など、精工な技や生産技術があるからか。肌身につけた物を捨てるのは、自分の分身を捨てる感じがするのか。過ごした時間の長さ濃さがゴミ箱を遠ざけるのか。価値は無いが価値があると信じたい欲目か。そういえばカメラやボールペンも捨てにくい。携帯も捨てにくい。工業製品の中でも小さなメカニズムのあるものはどうも捨てにくい。と書いてきて、ずいぶんと男目線だなと思った。

おばあちゃまはもっとシンプルに、毛糸を「生かしてあげよう」と思ったのだ。物の命をまっとうさせてやろうと思ったのだろう。この世に生がある限り楽しんでと。

もったいないという言葉は、実は複雑な因数分解ができるのですね。

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