心という臓器

心は臓器である。などというと「あたりまえさ、心臓でしょ」「いや脳だよ」と指摘を受けるだろう。だがぼくが想う心という臓器はちょっと違う。

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逃げ場を持てる人は強い。ここに逃げ込めば気持ちが落ち着く。息ができる場所。それは自室かもしれないし、台所かもしれない。森の中かもしれないし、雑踏かもしれない。逃げ場は誰にも必要である。

物理的な逃げ場はわかりやすい。だが心理的な逃げ場はどうだろうか。それはやっぱり身体の中にある。それが心という臓器なのではないか。たいていそれは胸にあるのは間違いない。普段は心臓や肺臓のように膨らんだり縮んだりという、目立ったリズミカルな動きはしていない。どうしているか?

ひっそりと脊椎の裏に細長くなってへばりついて、猫背になっちゃダメ!と背骨がたわまないように支えてくれている。

そやつは身体の持ち主の心臓がドキドキし出すと、心臓のそばに移動して、良いドキドキなら煽り立てるべく持ち上げて、悪いドキドキなら抑えるべくなだめすかす。

そやつは身体の持ち主の胃袋がしくしくしだすと、胃の周囲を腹巻きのようにそっと巻き付いて撫でてくれる。

そやつは身体の持ち主がアルコールを飲み出すと、肝臓の裏に移動して火照る肝臓を熱覚まシートのように包んでくれる。

そやつは身体の持ち主の甲状腺が腫れだすと、喉仏の周りに移動して、ホルモンを吹き込んだり吸い取ったりしてくれる。

そやつが実質臓器か管腔臓器かわからない(念のため、中味があるかないかの違いだ)。そやつは身体のあちこちを動き回って、気遣ってくれる優しい臓器なのだ。それがぼくのイメージである。

では心の臓器がドキドキしたり、青くなったり、萎んだりしたらどうなるのだろうか。助けは無いのだろうか?いや助けはある。そういう時は脊椎や心臓や肝臓や胃袋や甲状腺たちが、それぞれの持ち場からそれぞれの機能を発揮して、心の臓器を持ち上げてくれるのだ。臓器には思いやりもハーモニーもあるのだ。

などとしようもない空想したのは、桜が散るせいだ。

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桜は木にありて頭上を彩り、水にありて叙情をさそう。神田川にさすらい美を遺す。

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