新年度に

年度末である。それを始まりと思うか終わりと思うか、人それぞれ、立場あれこれで違う。ぼくはちょっとオチている。

理由はなんだろう。人間関係、仕事上のスキル、社会地位、体調……とりわけ今年の花粉症は酷い。毎晩真夜中にくしゃみで目が覚める。これは憂鬱である。

だが、きっとそれは桜のせいでもある。

IMG_5694(1)

桜は華やかである。春を授ける花弁は清らかだ。風に揺れる姿が健気だからこそ、散る姿が思いやられる。ほんの一瞬、見る者を喜ばせて散ってゆく姿は、神々しくしかし儚い。だが桜は散ることができる。年に一度は人を喜ばせる。一方自分はこれまで咲いただろうか。誰かを喜ばせただろうか。このまま散るのだろうか。そんな連想をしたせいかオチてしまった。

そんなとき、あの埋もれた詩人の言葉にあたる。Emily Dickinson

If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;
If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,
Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in vain.”

誰かの心が張り裂けるのを止められるなら、
この命、むだではない。
誰かの命の痛みを和らげられるなら、
せめて鎮められるなら、
気を失って落ちてゆく小鳥を
巣にもどしてあげられるなら、
この命、むだではない。

エミリー•ディキンソンは不運の詩人と言われる。存命中に認められることなく、誰に知られることもなく、生涯独身を貫き、静かに亡くなっていった。もう一篇。

I dwell in Possibility –
A fairer House than Prose –
・・・
Of Visitors – the fairest –
For Occupation – This –
The spreading wide my narrow Hands
To gather Paradise –

わたしは詩の可能性という
散文より美しい家に棲む。

最上の詩を迎え入れる、
それが仕事
ちいさな手をいっぱいに広げて、
楽園をそこにー
(いずれも拙訳)

言葉の旋律の詩人、エミリーが秘かに成し遂げたことを思って。少し勇気が湧いてきた。ぼくはたった一人の心を救いたい。言葉の可能性に生きたい。新年度を最終年度と思って挑戦したい。

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