言葉の花

速いから良いわけではない。遅いから悪いわけではない。だが締め切りはやってくる。

自分のことを遅筆とは思わないけれど、速筆ではない。手紙の返信はのろのろと書く。電子メールはそろそろと書く。ブログはちょろちょろですね。原稿は…行きつ戻りつ…消しつつ加えつつ…遅い…(^^;)

遅筆で思い出すのは、ミステリー作家の原尞である。

デビュー以来19年で長編4作、短編集1冊、エッセイ集1冊、確かに多くはない。“最後の長編”『愚か者死すべし』は、前作から9年かけて2004年に刊行された。そのとき「第2期沢崎シリーズ」を書く、それも「今まで以上に速く書ける方法を見つけた」云々と、どこかに書いていた。だが以来11年、何も発表されていない。

きっと「納得」が問題なのだ。自分の書いたものに納得できるかできないか。

原氏の手元には次作の原稿がある。ただ彼もしくは編集者が納得ができないので日の目を見ない。あるいは頭の中では納得しているが、ペンに落としたときに納得できない。できないから進まない。つまりまだどこにも無い。

原氏は現在68才、病気でもなければひとつやふたつ書けていそうだが…真相はミステリー。「なぜぼくは遅筆作家なのか」というエッセイの方が速く書けそうですね(^^)

他のミステリー作家には読者が読むよりも速いスピードで量産できる人もいる。あれは凄い。だが妬み半分で言えば、スピード作品はスピード読書である。すっと読めるが心には残らない。残るか残らないか、それは書くスピードと正比例する…

かどうかは例証できない(笑)まあ速筆が羨ましいだけだ。

でもね、とどのつまり言葉が「降りてくるか」、書いたあとに「音が鳴るか」、それが問題なのだ。

無理やり降ろして書いても、鳴らずに書いて出しても、書いたことにはならない。なぜならきっとつまらない。書き手には固有のリズムないし時間尺度があるのだ。原氏には原氏の、スピード狂にはスピード狂の、ぼくにはぼくの。

などとウダウダ弁明していると、桜が咲いてしまった。

IMG_5659

春の養分が一定量になると、桜は咲くという。ならば言葉の養分なるものが一定量になると、言葉の花が咲くのだろうか。ぜひ言葉の養分をジョウロでぼくにかけて(^^)なあんて書いているうちに、夜が更けてゆく…もうちょっとがんばろ。

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