成るか成らないか、それが問題だ。

将棋電王戦FINAL第2局』は痛快だった。吹けば飛ぶような〜♪将棋の駒から教わることは多い。

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永瀬拓矢六段(人間)対Selene(コンピュータソフト•ロボット)の第2局は「角成らず」で勝負がついた。このコンピュータには「成らず」がプログラムされておらず、「かく乱されて」Seleneの反則敗けとなった。

将棋を知る人なら「成る」とは敵陣に入って裏返すことを知る。銀や桂馬や香車、そして歩が金になり、飛車は竜王に、角は竜馬になる。基本的には裏になる方が有利なので、「成らない」という打ち手は選択されない。その虚を突いた「角成らず」、永瀬六段があらかじめソフトのバグを見抜いていたからだ。

「成ることしかプログラムしていなかった」のはまっとうではある。デジタル化は無駄を省くのだから当然。だが現実世界にはそんな「奇手」もあるのだ。理解不能な打ち手をする変わり者もいるのだ。ゼロとイチで成立していない。

これを人に喩えるとおもしろい。人もまた成るのだ。たとえば香車の裏「成香(なりきょう)」を「強くなる」と見るか「つまらない」と見るか。

どこまでも一直線で後戻りできない香車的な人が、成香になって金将の動きができる。言わば現場上がりの管理職になる。それは成長と言えるが、情熱でただ突っ走ることはもうなくなる。ちょっとさみしい。

成銀もおもしろい。もともとは「前•斜め前•斜め後ろ」に行けるが、成ると「前•斜め前•横•後ろ」と動き方が変わる。まるで大人になってクセが無くなるかのようだ。桂馬も成るとあの独特な動きが失われる。単なる金に「成り下がって」しまう。

敵陣に入って成ることでリーダーになる。前の動きにプラスして動けるようになる人もいる。しばらく成らずに動いた後、成る人もいる。一方、前の動きを捨てたくない人もいる。それで生涯をまっとうする人もいる。

「成る」も成長なら「成らない」もまた成長なのである。

ぼく自身はどうか。成り下がることを拒否すると言えば聞こえはいいが、成る資質が無いのをわかっているので、成るを拒否してきたような気がする。自ら動きを狭めて、敵陣でもなく自陣でもない中間地帯をウロウロしている感じ…(^^;)

「成る」か「成らない」かそれが問題だ。久々に将棋でもしますかね。

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