先生はつらいよ。

就活講座の講師をしだして気づいたことはたくさんあるが、その中のひとつに先生のたいへんさわかったことがある。

先生はふたつのことをする。ひとつは授業の組み立てである。もうひとつはクラスへの気配りである。このふたつは両立していないとならない。片方が良くて片方が悪いということはない。

授業の組み立てとは教え方である。つまらない教科書をいかにおもしろく学ばせるか、先生は常に腐心している。テーマの難易を見極めて、生徒の理解度の顔色を伺い、教材を作り、事例を語り、なんとかわからせようとする。これは教える技術である。

もうひとつ、クラスへの気配りとは、生徒の心をつかむことだ。クラスが崩壊しないようにすることである。規律に訴えすぎると心は離れ、自由度が高すぎると人はざわめく。マジメなときあり、笑いあり、騒がしいときもあり、規律あるときもある。そんな自然なクラスが最良である。

往々にして、先生は技術向上には熱心である。新米であればあるほど、教える技術への不安があるから完璧を目指す。ところが教え方が完璧であればあるほど、生徒は離れてゆく。なぜなら生徒が入り込む隙間がなくなるからだ。

心の方はどうだろうか。こちらには疎い先生が多い。問題を感じても目をかけられない。生徒マネジメントにまで時間を割けませんよ!という実情もある。生徒のことをわかっているつもりでも、たったひと言で信頼は崩れる。まして体罰はそれを受けた生徒だけでなく、クラス全体に反抗心を生みだす。その結果クラスは崩壊する。

ぼくも下手な就活講座の講師として、技のむつかしさ、心の至らなさを思い知っている。きちんと事例資料をつくり過ぎた反省があり。生徒の心にまで考えが及ばなかった反省もあり。技を極めて反発を招き、心を軽視して離反を招き…そういう繰り返しがあったかもしれない。

技と心はあたかも文殊菩薩の両手のように、あちら立てればこちらも立つ、その逆も然りの関係にある。技も心も両方同時に上げないとならない。先生はたいへんだ。

4月から新学期となるので、技と心の両立を目指してがんばりたい。単純なことである。技には隙をつくる、生徒一人ずつ話を聞く、と我が身に言い聞かせて…

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ちょい、黄昏気分…

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