あれから何を変えただろうか?何を変えずに来れただろうか?
4回目の3.11、東日本大震災の日を迎えた。2年半以上前から、毎月11日は土曜でも日曜でも平日でも「ぐるっとの日」をやっているから、4年の区切りだと言っても特別な感情が湧かない。淡々と開催した。月命日を持つ人は別だろうが、それ以外の日本人も同じだろう。
節目とはいえ平日であるし、花粉もバンバン飛んでいるので、数名だろうと高をくくっていたら、やっぱり7名の参加だった。いや人数ではない。日本一小さな被災地支援活動にご参加、どうもありがとう。毛糸をぐるぐるお楽しみ頂けたら幸いです。
思い起こせば4年前も花粉による鼻炎がひどかった。鼻は詰まるわ、頭痛はするわ、呼吸できんわで苦しかった。地震のおかげで電車が止まり家に帰れず仕事場の椅子に寝泊まりしたが、寝にくいだけでなく鼻のせいでほとんど眠れなかった。
今日も朝からひどくて薬でなんとか治めた。ぼんやりして眠りかけた。4年前と変わってない。健康法はやってるし、体操だって欠かさないのに…いかん。
ふと今日の参加者を見ていたら、余計にいかんと思った。
まず男の子が独創的なぐるっとを作ってくれた。このオリジナリティを見よ。子供は発想が自由だ。彼はこの春から小学校に進学するので年長さんだった。
午後遅めに来たのは今春大学に入学する男子だ。函館育ちで山梨の大学にゆく。アパートを決めて、羽田に行く途中に寄って作ってくれた。彼は高校を卒業したばかりだ。
あの地震は、男の子がわずか2才か3才の時にあったのだ。その子が立派に被災地支援をしてくれる。大学生はあの時、中学3年生。社会に目覚める年頃だった。今、こうして来てくれた。
大人たちがモタモタする内に、子供たちはどんどん成長しているのだ。これって怖くないか?
4年前から今へ、我々大人は何を変えられただろうか?原発はあのまんまだ。しかも垂れ流しだ。仮設住宅だってまだある。避難した人は帰れない。我々は4年間も何をしていたのだろうか?育った子供たちに何て言えばいいんだ?
自分のことを振り返ってみても、変えたこともあるが変えきれないこともある。モタモタしていることもたくさんある。情けない…いかん。
脱原発、弱き人を助ける、健康になる、ちゃんと文を書く。本音の自分に向かってもっと進もう。でないとまた1年がすぐ経ってしまう。