もんちほしが喰らうもの

彼女にそれは似合わないと思っていたからびっくりしなかった。それよりも表現者がよく似合う。

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四谷のアートコンプレックスセンターで『INTRO3 コレクター山本冬彦が選ぶ若手作家展』が開催中(明日3/1まで)。そこにイラストレーターのもんちほしさんが出品されていたので出かけた。

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ペジェ曲線で描く作品には前より深まりを感じた。どう深まったのか…と考えているうちに、作家が現れた。センターの1Fでカキフライを食べた。

「いずれはと思ってました」
「そうかなあ」

と、もんちほしさんはサバサバした様子で笑う。ぼくと境遇は似ている。いや法律上は先を越されてしまった。愛とは束縛の仕合いだ。そういえば愛した男が自分のものにならない、だから銃で撃って女は窓から身投げした、そういう映画がありましたねというと、もんちほしは微笑んだ。

「私なら、相手を千切って食べてしまう」

彼女が作品『厄喰らい』で描いたように「厄」を「食べてしまう」のか!むむむ女は怖い…(^^; ともあれこれから作品に封じ込めてゆくものには期待が持てる。愛も憎しみも、子という分身も、男のアホウさも喰らったわけだから。

6年以上も前に書いたもんちほしのインタビュー記事、彼女は「自分の思ったのと違う…」とモヤモヤしていたそうだ。すまんね。あの頃はまだぼくは子供でした。人の弱さ強さ、己の業を知り、医師の肖像を描いてきた今なら、前よりずっと上手に描ける。人間もんちほしの喰らうものをもっと描けるだろう。彼女はこんなことも言っていた。

「今回の展示は優れた人ばかり。人の作品の良いものが見えるんで、それを自分の表現として“もらえる”んです」

わかる。ぼくも年をとった今になって古典名作文学を読むとよく分るから。これは自分のものにできる、これはできない、というのもわかる。それは真似でも盗作でもない。オリジナリティをコラージュしてゆくプロセスである。我がオリジナリティを理解して、表に出せるようになるプロセスである。

恋も愛もきっとわかる時がくる。身につく時がくる。

世間的な法律上の縛りではなく、もっと深い愛の縛り合いだ。それが喰い合いか、育て合いか、認め合いか…人によって違うだろう。ぼくは“捧げ合い”だと思う。

ひとつ確かなのは、表現者は表現のためにも恋愛をする。それが性だから。

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