カルメンー罰と赦し

何の前触れもなく、まるでわきでたように一輪の花が咲いた。その意表をつく姿、まるで“カルメン”だ。

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今朝、出窓の露を拭こうとして朝陽を浴びる苺の鉢を見ると、可憐な花が咲いていた。美しさに心打たれてうれしくなった。女を花にたとえるのは男の特権だが、この花を誰にたとえるか…あの凜とし方ではなく、あのきゅんとした方でもなく、昨夜読んだ本の影響で(笑)熱情の女『カルメン』となった。

カルメン!誰もがその名を知り、誰もが強烈なイメージを持つ女スペインのボヘミアン物語を再読すると、これがまた痛快だった。初読は高校時分ですが、高校生にこのおもしろさ、奥深さはわかるまい。読書は年輪のごとく時間をかければかけるほど太く読めるものだ。一読してぼくに降りて来た言葉がある。

男の人生は、追わずにはいられない女を見つけられるかどうかだ。

カルメンという女の描写は凄い。美しく荒々しく世渡りの機知がある。カルメンに魅入られて一生を狂わされた男、ホセがまたいい。恋したゆえに道を外れ、悪党になり、盗みや人殺しをし、執着の果てに暴力までふるうが、心底にはモノにできない。やがて死刑に処せられる…それもこれもカルメンという魔法ゆえ。

恐らく舞台や映画では伝わりにくいのが「二重構造」というプロットだ。カルメンを語るホセの話を聴く考古学者という構成である。二人の男を介して想像するゆえに、カルメンという女の姿が否が応でもかきたてられる。妄想が高まる。「女と猫は人が呼ぶときに来ないで、呼ばないときに来る」これグッドフレーズ(^^)。

そんな恋の魔法にかかってみたいと思うか?たいていの男は尻込みするだろう。そこまでの勇気も捨て鉢さもない。余談だがぼくにはある。捨て鉢ではなく幸せである。

それはさておき、そこでこの物語のもうひとつのテーマが浮き彫りになる。それは「赦し」だ。

ホセの懺悔=告白は、恋の定めに従わざるをえないことへの赦しなのだ。考古学者は罪を赦した。ホセとカルメンが刺し違えるという運命は、この世では罰であるが、あの世では赦しなのである。愛とは罰であり赦しなのだ。

最後に文体の凄さに触れたい。「描写と会話と思い」をひとつの節でここまで生き生きと書けこめるのには驚いた。100数十年前の文学はかくも斬新である。これほど読者の心を隆起させる文は見事だ。

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