運命をつくる

運命とはあるものだろうか。それともたぐり寄せるものだろうか。

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運命という言葉は時に重く、時に甘く、時に辛く、結局のところ絶対である。運命には従わねばならぬ。出会うのは運命だったのね…別れる運命だったんだ…

…のだろうか?そうとも限らない。

まず断っておくがぼくは運命論者ではない。たいてい明日は明日の風が吹くとうそぶいておる。今日は強風でしたね。そこで思うのが、運命とは固定された道しるべではなく、“風が吹けば桶屋が儲かる”という“つながり”はある。風は吹けと思うと吹かず、柳に風くらいがよろしい。

運命風を吹かせようとすると吹かないという例をあげよう。

ぼくの若い頃の放浪の旅である。色々理屈は付けても、本音では運命を変えたくて家を出た。だが結局ひとりぼっちで、良い文も書けず、社会人になるイメージがつかめなかった。旅では何も変わらなかった。一年遅れになっただけだった。なぜだろうか。

放浪でぼくは自分の弱さと戦っていた。だがするべきだったのは、自分と戦うことではなく、自分を受け入れることだった。そこから始めれば運命は違っていた。つまり運命を変えようとしても運命は変えられない。むしろ逃げてゆく。

次に運命風が吹いた例をあげよう。

3年前からボランティアをしている。軽い気持ちで始めた。自己満足なところもあるし、寄付も少額で社会へのアピールも少ない。ただダラダラ続ける自分は少しだけ偉いと思った。するとそこである出会いがあった。自然体で受けとめた。すると運命が変わった。運命に従うと世間体に抗うことになったが、それも自分に正直を貫いた。そこからまた運命が変わりそうだ。

たいていの人は運命という予定に逆らって生きている。だから運命に出会えない。出会えないとますます抗う。そしてますます運命から離れていく。ではどうすればいいか。

運命なぞ忘れて日々自然体になろう。なれるよう努力しよう。

運命という言葉の意味と矛盾するかもしれないが、運命とは日々つくってゆくものだ。今日は昨日の延長線上にあり、明日は今日の延長線上にある。日々それ自体が運命をつくるのだ。運命に抗うなという言葉の本意は「運命をつくることに抗うな」なのである。

今日いやたった今から、運命をつくろう。自分の気持ちを素直に受けとめよう。善く生きたい自分を受けとめて。

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