日本人って冷たい?

大したデモもない。大いに悲嘆に暮れることもない。ある意味、冷たいのが日本人。ぼくもその一味だけれども。

日本時間昨夜のデッドラインを過ぎて、今夕になっても新たな情報がない。既に…とも思ってしまうが、見ず知らずの人ではあるが、ぼくはヨルダン駐日大使館にゆこうと思った。帰り道と真逆だし、渋谷の奥地で地理もわからないけれど、行っても無駄だろうけど、行こうかと思った。

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パイロットとジャーナリストの人質解放のカギはヨルダン政府にあるからだ。首相官邸前でデモするよりは、ヨルダン大使館の前でひと言「助けてあげてください」と言う方が、ほんの少し、理にかなっていると思った。

だが……ホントにホントに言い訳だが、今日は体調が悪かった。ある箇所が痛くて歩くのがしんどい。午前中の雪の中を3キロほど歩いたせいもある。午後は立つのさえつらくて断念した。心の中でイスラム国からの2人の人質解放を祈った。

しかし、報道はされているが、どことなく諦めムードも広がる。日本人の人質ひとり“見殺し”になったが、変な母だとか宗教だとか散々な言われ方もした。政府は、厚生労働省などの過去例見るまでもなく、国民の命は第一ではない。その首相官邸前に集まって何をするんだろう?

報道も政府も国民も熱くならない国だ。知人が言った。

「日本人って冷たいのかも」

そうかも…ただ「冷たい」といっても冷酷ではない。冷静というのとも違う。冷徹、冷淡、うーん…近い言葉があった。「冷然」である。

心動ずることなく厳粛に受けとめる。武士道を源泉とする毅然たる態度に民族的な価値を見いだす国民性なのかもしれない。負な事も、悔しいことも、すべて何事もなかったかのように受容するーそこに価値あり。だから審判に苦言を呈したモンゴルの力士へ、世間の風当たりは強くなる。とくに相撲はスポーツである前に“道”であるから厳しいのだ。

ぼくも日本人だから「冷然たる価値」は理解できる。ただ、弱い人びとや虐げられた人びとには、優しくありたい。

だが気になることがあった。安全な場所からの賢そうな発言や、意見を表明して闘争気分になるSNSである。今回のことでちょっとなと思った。ぼくは活発に投稿する方だったから、その分空しさが深くなったのかもしれない。

人を心から動かすのは感情であり愛情である。涙であり悲痛な声である。意見ーましてネット上の意見では絶対にない。

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