板紙死すとも自助は死なず

板紙は知識と文化の発信点だった。だからこそ黄色やらグレイやらの厚い紙に熱くなる。

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過去3年、ぼくは板紙のキットを開発してきた。小箱、引き出し、メモケース、ティッシュ箱、アドベントカレンダー、iPhoneスピーカー、マスキングテープ入れ、小さな道具箱… 板紙(ぼくは2ミリ厚を使う)を部材化して手づくりイベントで楽しんでもらった。ぼくは日本でトップの板紙工作者である(そんなの偉いか…笑)。

今はギャラリーのオンラインショップで販売するキットを開発中で、最初はmtのケースとなる。次々出す。開発してると素材のアイデアが降って来た。

「こんな板紙があればいいのに!」

開発できたら革新的な板紙となる。どうしたら開発できるか?図書館に行った。

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昭和23年(1948年)発行の『板紙物語』。ここに厚紙の熱い話があった。

日本に板紙が輸入されたのは明治2年(1872年)、かなり高価だった。主に本の表紙に使われた。時代は文明開化、世界の知識への欲求が高まっていた。西洋の叡智を印刷出版したいと考えたのが佐久間貞一だった。彼はサミュエル・スマイルズの『自助論』(1859年発行)を翻訳出版せんと、素材の板紙研究から乗り出した。

だが困難を極めた。無知だったからだ。原料からわからない。匂いを嗅いで「麥稈(むぎわら)だ!」と見抜いた。そこで和紙漉きの要領で輸入板紙もどきを作った。そして東京板紙会社を設立して器械を輸入したが、また難事にぶつかった。製造が安定しない。会社は赤字続きで社長を辞めた。技術者を雇い安定操業まで数年を要して、明治10年に自助論を翻訳した『西国立志編』が発刊された。発行元は佐久間が社長をする秀英舎、今日の大日本印刷である。(こちらにも詳しい)

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板紙は生活に欠かせないとはいえ今はスターじゃない。今どき黄ボールやチップボールなんて子供の工作だ。本も売れないから需要も減る。そんな素材開発なんておかしいんじゃない?と言うか。「どうせだめ…」は禁句だぞ。

ぼくは紙の本が好きだ。紙の工作も好きだ。紙には文化と知恵の香りがある。電子にはないものだ。ましてSNSやタブレットの情報コピー合戦とは違うものだ。だから板紙との格闘は楽しいのだ。

そういえば『自助論』の序文にこうある。

「天は自ら助くる者を助く」

自分で自分を助ける人には降りてくる。がんばろう!

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