文を書くこと

先日、ASEAN留学生の講義でスティーブ•ジョブズのスピーチを一緒に学んだ時、ぼくはなぜ文を書くようになったか、書いてみたいと思った。それは3つの話である。「本を読む」「書くことと挫折」「人を書く」…たった3つである(^^)。

まず「本を読む」から。

当然だが本を読むのは好きだった。園児の頃から貸本を読み、児童文学を読み、父の土産の『安寿と厨子王』を繰り返し読んだ。小学校の図書館では偉人に出会った。キューリー夫人、ライト兄弟、コロンブス、ダヴィンチ…洋ものに憧れた。特にケネディ大統領の話を何冊も読んだ。理想主義が好きだった。

中学生になると、友人が転機となる本を貸してくれた。『ライ麦畑でつかまえて』という青春悪漢小説だった。痛快だった。読んだその日からホールデン•コールフィールドの口まねをした(世界中で起こる何もかもがインチキさ)。

以来、ぼくは文を書こうと思った。

読む本が変わった。洋物中心は相変わらずだが、古典や名作にスイッチした。小説や戯曲や詩を読み出した。毎日1冊読むということは、昼ご飯をケチり電車賃をケチり自転車で動くことだった。変な文を書いては謄写版で印刷して綴じて文化祭で売った。

ぼくは中原中也のようにゆらゆらと孤高でありたかった。アルチュール•ランボォのように文で名を挙げ、世界を旅をしたかった。現実にはガリ版手書きの個人誌(ひとりだもん)はまったく売れなかった。自分の暗い世界のことを自分にしかわからない文で書いているのだから、売れるわけがなかった。

二つ目は「書くことと挫折」。

大学で同人誌サークルに入り、授業をサボってはもはや思い出せない何かを書いた。毎回何かを書いたが、悪くないけどね…と毎回合評された。そのうち何を書けばいいかわからなくなった。そこで、長めの旅に出た。恋をしようとした。でも旅しても恋に近いことをしても、自分が何を書くべきか見つからなかった。ついにあきらめて、就職した。

それから長い時間がたった。20年後である。

転職した先で、自分には難しい仕事を始めた。その仕事が上手くなるため「書くこと」を始めた。仕事のスキルアップの方法や心構えを、社内の掲示板に発表すると、読んでくれる人が現れた。それをベースにメールマガジンを発行するとまた読んでくれる人が現れた。さらにブログにすると今度は「連載しませんか」という話をもらった。

書くことを諦めてから25年後に少額の原稿料を頂くようになった。ビジネスエッセイの連載は毎週と月刊誌、プラス単発の原稿。いわゆる「ライター」になった。

さてライターと作家の違いは何なのか。ぼくなりにはこう思う。依頼されて書くのがライターである。商品やサービス紹介、スターや偉人を紹介する。書かないとお金がもらえない。一方湧き出てくるものを書くのは作家である。こちらは書かないと甲羅が渇いて死んでしまう。結果同じか…(笑)

さてその頃、大きな地震があった。東日本大震災である。体も心も揺れた。こう思った。「大切なのはモノじゃない、カネでもない。いつ死ぬかわからないなら、本当にしたいことをすべきだ」

ではオマエはほんとに書きたいことを書いているか?NOだった。企業の新製品やサービスの提灯持ち文を書けなくなった。それでビジネス文の仕事はすべてやめた。

三つ目は「人を書く」である。

地震の1年半ほど後、代役を引き受けてある医師のインタビューに行った。インタビューの仕事は経験的にもお手の物だった。だがこれは違った。これは記事を書くのではなく人生を書く仕事だった。書き方がわからなった。締め切りの前々日まで唸った挙げ句、編集者に教えを乞うた。

かれ「今回の医師のキーワードはなんでしょうか?」
ぼく「キーワード?」
かれ「“一流”でしょう。一流を目指す姿を書くんですよ」

そのひと言で見えた。どう書けばいいか見えた。締め切りに間に合い幸運にも良い出来だと褒められた。ライターで書くとつまらない文になる。相手の人生と書き手の人生が重なりあうからおもしろくなる。半分ライター、半分作家の仕事なのである。

それで半分くらいわかった。ぼくはずっと原稿用紙のヘリを歩いてきた。書くべきことの外周を歩いてきた。だから書けなかったのだ。

心の中の原稿用紙に人生を写せーそれが書くことである。その人生を読んだ人の人生が変わることが作家の仕事である。人生の喜怒哀楽は、数千年の間繰り返されてきた。これからも数千年の間繰り返される普遍的なものである。昔読んだ伝記、古典、若者のベストセラーにあることだ。その上にほんの少し自分を足せるかどうか。そんなことなのだ。それが人類への貢献なのだ。

IMG_5314

そのためにも人生の外周ではなく<真ん中>を歩こう。真に愛せる人を探す物語である。苦しむ誰かを救う物語である。

書こうと思って40年、まだ大したものが書けてない。サイノウナシオバカノコンコンチキ(笑)でもいいか。世界中で起こる何もかもがインチキなのだ。自分がインチキじゃないと思うことをひとつだけ書ければいい。幸いなことに作文活動はこの世で一番原価が安い。定年もない。「書けなくなったとき」が終わりだ。それまでまだ時間はある…たぶん(^^)

***

今夜は以上です。長文のエントリーになりました。いつもの倍です。ブログテーマも一新、明日からは1,000文字ブログだけでなく「画像のみ」「短文つぶやき」もアップしてゆきます。

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