それらしきもの

ぴゅうぴゅう寒風が吹きすさぶ。この寒さではお年寄りがまいりますのう…。

午後から南関東地方は急に冷えだした。これでは体力のない年寄りはあぶない。もっともぼくもその入口だが…。人は死ぬものだが、医師のインタビュー起こしを読んでいたらこんなくだりがあった。

命はどこから来てどこにゆくんだろうか。死んだのは肉体が死んだだけで、魂がどっかにあるという話もあるね。ホントは今もここにあり、ずっとあるもんかもしれないね。

そこにいる、そこにもいると<それらしきもの>が見える人もいるらしい。ぼくには見えないし、人がどこから来て、どこにゆくのかもわからない。

そういえば我が父を見送ったとき、葬儀を近所でしたせいか、棺桶を積んだクルマが家の前の道を通ってくれた。小さな病院で死んだから、母のなけなしのはからいだったのだろうか。その母が死んだ時は、家から離れた病院だったので、葬儀場に直行した。今思えば、立ち寄ってあげればよかったか…

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だが遺品を整理している最中に家に帰って来られて「それは捨てないで」と言われてもねえ…(笑)

死んだらどこにゆくかはわからないけれど、ぼくのイメージはこうだ。魂が切れ切れになってあちこち方々に飛んでゆく。

行きたかった所や、行けなかった所。
ずっと居たかった所や、立ち止まりたかった所。
追い出された所や、気まずくて、居たたまれなかった所。
やり直したい所や、やり続けたい所。

ぼくはきっとその時、透明で小さいから、生きる人にはなかなか目にとまらない。どこでもすとんと入る、きゅっと潜りこめる。

それはきっとこの世にまだ生きる人の心の中なのである。彼らの心の声を聴く。

「こんなこと言ってたな」
「あんなこと一緒にしたな」
「つらかったけど楽しかった」
「もっと一緒にいたかったな」

いつでも死ぬる心構えを持って生きよ、これは正論なんだけど、まだ死なない人のセリフだ。死期をさとった人はそうは言わない。もう何も言わないのだ。これまでの生を巻き戻して、散り散りになったらどこに行こうか、と考えているのだ。透明な回数券を切ってはあそこ、切ってはこっち、と数えているのだ。

それらしきものになれば自由なのだ…きっと。

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